美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

源頼朝の最初の妻・八重姫と嫡男・千鶴丸はどうなったか?

   頼朝は父・義朝と平治の乱で平氏と戦い負戦で捕えられて、伊豆蛭ヶ小島に流される。   この地は、北条氏の支配領域だった。 最初から同地に居住したかは定かではない。   &nbs …

家康の側室・阿茶局は相当の武術者で秀忠の養母になる

家康には19人とも、それを超えるといわれる側室がいる、その中の一人に馬術・武術に優れ、これまでとは違うタイプのデキる女、頼りになるバリキャリの側室・阿茶局。 家康の正室は2人、築山殿と朝日殿で共に政略 …

三十三観音巡りは岐阜恵那三十三霊場を「ぶらっと遍路」して御朱印帳をもらおう

岐阜県内には観音さんをお参りするところが、西濃と東濃にあります、それだけ西の大垣城、東の岩村城と言われてることから、お寺さんが多いことだと思います。     恵那三十三霊場に対して …

一条天皇の母は藤原詮子〜中宮定子と中宮彰子の関係は?

 一条天皇は、円融天皇の第一皇子、天元3年(980年)6月1日に誕生し、母は藤原兼家の娘・藤原詮子※1(後に東三条院)。     諱は懐仁(やすひと)で、永観2年(984年)従兄弟 …

藤原宣孝と紫式部の歳の差婚:親子ほどの年の差は幸運だったのか

藤原宣孝は、親戚筋の官僚で父の同僚だけど幾度となく紫式部に求婚の手紙を書いていたらしいが、その度に拒否の歌を返している。     宣孝は紫式部より20歳ほども上で、何人もの女性と結 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。