美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

渋沢栄一の前半生の年表!ちょんまげ頭からざんぎり頭の波乱万丈の人生

2021/09/18   -未分類

 渋沢栄一は血洗島で生を受け、尊王攘夷に明け暮れ、従兄の喜作と共に京都へ出て、平岡円四郎に出会った事により道が開けて行った。   一農家の人間が、一橋家の家臣になって慶喜公に謁見できるなんて …

亀山藩で二十九年目に親・兄の仇を討った石井兄弟の源蔵・半蔵

2021/09/16   -未分類

 明治以前は許されていたが、今の世は仇討ちは許されていない。 仇討ちで超有名な話は、浅野内匠頭が殿中で刀を抜いて吉良上野守に切りかかった話などは大方の国民が知っています。     …

岩村城最後の城主・松平乗命が新政府に加担して明治四年廃藩置県を迎える

2021/09/13   -未分類

 まず、岩村藩最後の城主・松平乗命とはどのような人物か? 大給松平家の文派八代、岩村城七代藩主、嘉永元年(1848年)六月に江戸屋敷に誕生する。                       …

岩村城下町は寺院多いが二代藩主・丹羽氏定が建立した七面山・妙法寺

2021/09/10   -未分類

  岩村城は敵が攻めて来た時、霧ヶ井戸に城内秘蔵の蛇骨を投じるとたちまち山全体が霧に包まれて城を守ったという。 蛇骨は二の丸の宝蔵に収蔵されており虫干しをした記録が残されている。 そのため別名・霧ヶ城 …

関ヶ原の戦いは九月十五日東濃の関ヶ原の戦い前哨戦とは

2021/09/09   -未分類, 関ヶ原の戦い

 徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が天下を二分して衝突した「関ヶ原の戦い」。     戦国史のクライマックスは関ヶ原ばかりに目が行きがちだが、同時期に東濃地域でも地元の両勢力 …

岩村町の観光スポット石室千体佛の由来と賑わっていた頃の貴重な写真

2021/09/06   -未分類

岩村の千体佛の行事なんて幼き頃だから、何時やったか覚えがない? ましてや、どいうお祭りか訳もわからず餓鬼連中と出かけた記憶だけあります。 当時は石室千体佛のことを「石のカルト」と呼んでいたような気がす …

家康の「家」を与えられた若きプリンス大給松平家の初代岩村藩主・松平家乗

2021/08/27   -未分類

徳川家では初代である「家康」の「家」の字は将軍職を継いで行く者につけた。   徳川宗家(将軍家)の後継者のみ許された「家」の字です。 後継者でも「家」の字を使ってない徳川将軍がいます。 それ …

廃藩置県後の岩村城下町は?川を挟んだ侍屋敷と商家の地域

2021/08/24   -未分類

 観光客の多くの皆様は商家の城下町の方を歩いてるけど、岩村の町はお城ができて約830年の歴史がある町です。     そのため侍屋敷も幾多の地区にあったし、城山の麓には藩主邸もあった …

美濃國妙心寺派大園寺の歴史〜武田信玄元亀3年に高僧希菴玄密の暗殺を命じた

2021/08/10   -妙心寺, 未分類

 岐阜県恵那郡岩村町の大圓寺(現・恵那市)は臨済宗妙心寺の大寺でした。 建武年間(1334年〜1335年)に遠山氏一族の菩提寺として岩村城の麓に創建され、遠山景前の時代に再興された。 ●以前の城下町は …

渋沢栄一パリ帰還後徳川慶喜に会いに行って静岡藩に勤務を命じる

2021/08/03   -渋沢栄一

 将軍・慶喜にパリ万博を進められ、将軍の弟・徳川昭武の随員として渋沢栄一(当時は篤太夫)がパリ万博へ、幾人もの王・銀行家・貴族らの西洋人との接点を得てきて学んできた。     日本 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。