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豊臣秀長が磨き上げた「最高の右腕」藤堂高虎|忠義と実務が交差する師弟の絆
2026/02/16 -藤堂高虎と秀長
藤堂高虎とは、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。 伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。 津藩藤堂家(藤堂家宗家)初代です。 藤堂高虎は秀長に雇われて人生変わった、 徳川家康に重用さ …
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織田政権の出世頭はやはり『豊臣橋』だった?秀吉と秀長の知行高を徹底検証
2026/02/14 -豊臣兄弟の知行
織田政権の中で、最も急激にかつ異例の出世を遂げたのは「豊臣兄弟」です。 これは、知行高の推移を見ればほぼ間違いないでしょう。 ただし重要なのは、最初から秀吉は重臣だったのではなく、兄弟セットで上役には …
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「兄の天下」のために嫁いだ妹!豊臣兄弟の妹・あさひに託された戦国の宿命
2026/02/09 -豊臣の妹
豊臣秀吉と秀長——戦国史に名を刻む「最強兄弟」の陰に、一人の妹がいて史料に名を残す女性名は、あさひ(朝日姫・旭姫・南明院)として知られており、その人生は戦国の政略と家族関係という「激動の …
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身長2M超?戦国最強の巨漢・大沢次郎左衛門とは何者か秀吉も驚いた怪力武将の真実
2026/02/07 -未分類
大沢次郎左衛門正秀の史料が乏しく実情がはっきりせず謎多き武将です。 生没年不詳で戦国時代の武将で、美濃国宇留魔(鵜沼)城主。 名は大沢次郎左衛門正秀、斎藤氏の家臣『寛永諸家系図伝』や『濃陽諸士伝記』に …
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豊臣兄弟だけじゃない武田信玄と弟・信繁ー戦国を支えた理想の兄弟関係
2026/02/01 -豊臣兄弟・武田兄弟
なぜ戦国史では、兄よりも“弟の死”が家の運命を左右したのだろうか? 豊臣秀吉と弟・秀長は、戦国史における理想の兄弟関係として知られています。 また、同じように …
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上杉家に鬼神ありー謙信に刃向かい、関ヶ原後に上杉家を救った男・本庄繁長
2026/01/28 -武人八幡・本庄繁長
上杉謙信に逆らってもなお、『武人八幡』と称された上杉の鬼神と恐れられた武将がいた。 その名前は、本庄繁長です。妻は上杉景信の娘。 上杉景信とは、「上田長尾系図」において、上杉謙信の生母(青岩院)の父 …
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勝者・秀吉の挫折と 蟹江合戦局地戦で敗北直後に書かれた新発見書状の意味
2026/01/24 -蟹江合戦
賤ヶ岳の戦いで秀吉と組んでいた信長の次男・織田信雄が、秀吉の勢力拡大に対して、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と織田信勝が徳川家康に助力を依頼して二手に分かれて戦ったのが「小牧・長久手の戦い」です。 …
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北条氏直は本当に無能だったのか?ー優しすぎた戦国大名当主の真実
天正18年(1890年)7 月5日、北条氏小田原城開城。 関東を支配した戦国大名・後北条氏は、豊臣秀吉の小田原征伐(小田原の役)の末に、北条氏政(父)・氏直(氏政の子)が、約3ヶ月(約100日)に及 …
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岩倉城攻めとは何だったのか?苛烈さの裏にあった織田信長の慎重な戦い方
2026/01/14 -岩倉城の戦い
大河ドラマの豊臣兄弟!で信長が岩倉城主・織田信賢を攻めて岩倉城を落とした。 どうして同じ同族「織田」同士で敵対して戦うのか、信長が生まれたところは勝幡城(現・愛知県西部)で幼き頃、岩倉 …
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織田信長の「黒母衣衆・赤母衣衆」とは?その違い・役割・代表的武将を解説
2026/01/08 -赤母衣衆・黒母衣衆
織田信長といえば、革新的な戦術と大胆な人事で知られる戦国武将です。 その信長の軍団の中でも、ひときわ異彩を放っていたのがエリート集団の「黒母衣衆」・「赤母衣衆」と呼ばれる精鋭部隊で、一言でいえば …