美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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紫式部の朝廷に出仕した時期はー『源氏物語』は藤原道長のおかげで完成

2024/03/03   -未分類, 紫式部

   紫式部の事をもっと知りたい、いままでは、紫式部の結婚相手は歳の差婚の藤原宣孝とした事を伝えて来ました。     藤原宣孝なる輩はどういう人物かというと、平安時代中期の貴族で、 …

家康の遺産は久能山に埋蔵金として「久能山御蔵金銀受取帳」に記されいる

2024/02/28   -未分類

   徳川家康は天文11年(1542年)岡在城にて、松平広忠と母・於大の方の間に誕生、慶長10年(1606年)将軍職を3男・秀忠に譲り駿府城に戻り、大御所として65歳〜74歳まで権力を振るったが、74 …

徳川家康のルーツの松平氏という名前の由来と清和源氏出の疑問

2024/02/20   -未分類

   読者の皆さんこんにちは、徳川家康のルーツは松平氏だといってます。 松平氏という苗字に疑問を抱いた事ないですか?なんで松平がルーツだといえますか。     どうしてかというと、 …

源氏物語の誕生の訳は夫の死を契機に描き始めた一大小説だった

2024/02/17   -未分類

   みなさん、こんにちは源氏物語は紫式部がいつ頃執筆し始めたか? 興味ありませんか?     源氏物語は、作者・紫式部の、夫・藤原宣孝が、長保3年(1001年)に当時都で流行って …

紫式部の結婚相手は歳上の又従兄妹ー夫の死後を契機に『源氏物語』を制作

2024/01/28   -未分類, 紫式部

   紫式部の幼少時代の名前も生没年も不明です(大河ドラマでは“まひろ”って名乗っていますが、どうも、香子っていう名だと言われています)だが謎めいている女性といえます。     家 …

後宮に仕える女房・女官は身分は違えど七殿五舎に帝と妃と共に暮らす

2024/01/23   -未分類

 紫式部、和泉式部や清少納言は、女房(にょうぼう)と呼ばれる職業でした。     この三人は夫と死別や離婚で独身だったので、出仕中はだれかの奥さんだったわけではありません。 &nb …

紫式部と彰子の出会いは父・道長によって実現したーそれぞれの3人の関係は

2024/01/21   -紫式部

   第56代・一条天皇の后になった藤原定子は、貞元2年(977年)にそして正暦元年(990年)14歳で入内して中宮になったが、父の死と兄の流罪で後ろ盾が亡くなり出家するも一条天皇が呼び戻して定子を寵 …

定子の運命を変えた兄・伊周の“長徳の変”で流罪と叔父・藤原道長との関係

2024/01/14   -未分類

 定子が一条天皇の中宮になったのが14歳、定子と一条天皇は従姉弟同士、後から中宮になった彰子も同じ従兄妹同士でした。     定子には、父・藤原道隆と祖父・藤原兼家の後ろ盾があった …

枕草子を書いた清少納言が中宮定子に仕へ親密な関係とエピソードは

2024/01/11   -未分類

   藤原定子は藤原道隆の娘で一条天皇の中宮になる。 彼女に仕えた女房の一人に清少納言がいた、その清少納言は『枕草子』で定子は聡明で奥ゆかしい美人とたたえられていた。     父の …

一条天皇の后の定子・彰子が中心となった後宮サロンとは

2024/01/05   -未分類

   サロン「Salon」はフランス語で、貴族階級の社交場を意味します。 身分の高い貴族が宮廷や私邸などの一室に、学者や詩人など知的で教養豊かな人達を集めて、文学や芸術などの高尚な会話を楽しむ場所を提 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。