美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

岩村城下町の中心にある”かんから餅“と”菊ごぼう“だけがいわむら名物

岩村町の店舗は幾つもありますが、特に岩村名物といえるのは2店舗だけ。   コロナが治ったら、これから岩村町は、一月八日の八日ゑびすから始まり・雛祭り・夏祭り・秋祭り等のイベントがあります。 …

三代室町幕府将軍・足利義満は勘合貿易で莫大な利益を得るも義満の死後は衰退

   室町幕府の3代将軍である足利義満は、朝廷の財政面を支援していき、朝廷は、天皇の即位や伊勢神宮の社殿造り替えなど、頻繁に臨時出費があり、資金繰りに困っていました。     以前 …

尾張藩の「姫」岩村藩へ輿入れ:わずか4ヶ月後岩村は「県」となって岩村藩の終焉

 嘉永6年(1853年)、アメリカの「ペリー」率いる艦隊が日本に開国求めて浦賀に来航したことを発端にして、徳川家による江戸幕府の統治体制が崩壊しました。     慶応3年(1867 …

奥州合戦の原因から背景、結果、その後までを分かりやすく解説!

 義経は奥州平泉に逃れ、頼朝軍と戦ったというぐらいことは知っています。   後白河法皇の考えで損を食った義経だが、義経にも人徳がなかったこと、逆に朝敵となって頼朝に追われ、奥州平泉に逃れ藤原 …

徳川家康は豊臣家の関係を断ち切るために秀頼・淀殿を滅亡に追い込む

 家康は慶長5年(1600年)において豊臣家の中で同士討ち石田三成(西軍)と徳川家康(東軍)の間で天下を二分する戦いを関ヶ原で決戦した。 いわゆる関ヶ原の戦いです。     これに …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。