美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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家康は上杉征伐の途中小山評定で各大名に東軍か西軍どちらに着くかを確かめた

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和田合戦はなぜ起きたか?甥の胤長の処罰で義時に挑発された

 和田義盛は久安3年(1147年)生まれ、三浦義村は仁安3年(1168年)歳の差19歳あるけど三浦一族で従兄弟の二人。     義村の父・三浦義澄は13人のメンバー、和田義盛もメン …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。