美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

勝者・秀吉の挫折と 蟹江合戦局地戦で敗北直後に書かれた新発見書状の意味

   賤ヶ岳の戦いで秀吉と組んでいた信長の次男・織田信雄が、秀吉の勢力拡大に対して、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と織田信勝が徳川家康に助力を依頼して二手に分かれて戦ったのが「小牧・長久手の戦い」です。 …

源頼朝の死の原因は落馬か怨恨か暗殺か病気説か謎だらけ

   頼朝は朝廷政治から武家政治に変えた人物で、武家政権が徳川末期まで続いた。 なのに源頼朝のドラマ・映画はないですね。     何故かと言うと、頼朝が先頭に立って戦ったという武勇 …

頼朝の愛妾亀の前後妻打ちで政子の嫉妬心表面化

 頼朝の女好きが政子を恐妻にしてしまった。 ”鎌倉殿の13人“で、亀の前と頼朝が深い関係であったと記憶してしている方が多いと思いますが、どいう女性だったのか、あまり深くは知らない。   そこ …

「信長の年下の叔母・おつやの方と岩村城の悲劇」信玄の西上作戦に翻弄された女城主

 岩村城の遠山景任と結婚した、一説によると景任24歳、おつやの方は信長の祖父・信定の子で信長の父・信秀と兄妹の関係ですが信長より年下です、 父は織田弾正忠信定。     信定は戦国 …

応仁の乱の主な中心人物は足利義政・日野富子・細川勝元・山名宗全の関係

 室町幕府が衰退した理由とも言われる「応仁の乱」は、応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)の室町時代中期に発生した大規模な内乱(応仁・文明の大乱)です。     11年とい …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。