美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

家康は本能寺の変が起きたとき堺にいて伊賀ルートで逃げれたか?黒幕説を検証

   徳川家康は織田信長暗殺に関わっていたのか、関わっているとしたらどういうふうに関わってたのか?それとも無関係なのか。 戦国最大のミステリーです。     家康は信長によって正室 …

豊臣秀長を支えた正室と側室――慈雲院と興俊尼の伝承

   秀吉の弟・豊臣秀長の正室はどんな人? 兄・秀吉の正室は、寧々(ねね)北政所で淀殿は側室(信長の姪、妹・お市の方の娘)だという事は皆さんご存知でしょう。     だけど弟・秀長 …

三好三人衆・三好宗渭の執念|信長との死闘から豊臣秀頼に殉じた百歳

「かつての宿敵・三好三人衆・三好宗渭が、なぜ豊臣秀吉・秀頼親子に仕え、最期まで忠義を尽くしたのか」という、歴史の皮肉とロマンが詰まった部分をメインに据えた記事を作成しました。   戦国史上、 …

織田家の「弾正忠」とは何か?織田信長の家に伝わる“正義の肩書”

 今から約450年前に「桶狭間の戦い」が豊明市の桶狭間で織田信長が今川義元を討ち取った話は大抵の人が知ってますよね。     なぜ、織田氏は今川義元の進軍を黙って通過させなかったの …

承久の乱で御家人を動かした北条政子の神演説で後鳥羽上皇軍を破った

           ▲加藤景廉一族の墓(沖の原五輪の塔)   我が故郷の岩村城の祖の加藤景廉が、頼朝より地頭を賜ったのに、承久の乱後、加藤景廉が亡くなった。 承久3年(1221年)8月3日没。 &n …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。