美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

勝者・秀吉の挫折と 蟹江合戦局地戦で敗北直後に書かれた新発見書状の意味

   賤ヶ岳の戦いで秀吉と組んでいた信長の次男・織田信雄が、秀吉の勢力拡大に対して、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と織田信勝が徳川家康に助力を依頼して二手に分かれて戦ったのが「小牧・長久手の戦い」です。 …

岩村城の門跡を見るなら一の門から土岐門をまずみよう

 岩村城は、岩村駅を降りると東に見える山が城山です海抜717mにあります。     頂上は夏の夜は焚き火をしなければ寒いくらいです。 学生の頃よく登ったりして遊んでいました。 &n …

藤堂高虎が豊臣秀長の城造りの築城術の極意を受け継いだ師弟関係

「築城の名手」として江戸城や伊賀上野城を手掛けた藤堂高虎。              ▲伊賀上野城 その圧倒的な技術の原点が、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にあることをご存知でしょうか。   &nb …

竹千代は今川義元の家臣に「むごい教育」をせよと命じられていたなぜか?

   竹千代(家康)は今川家の人質なのに、なぜ義元は最強の教育したのでしょうか?     竹千代は松平家から今川家に人質として差し出されたとき、まだ幼い子供でしたが、義元は竹千代の …

三方ヶ原の戦いはなぜ起きたか?同盟同士の信玄と家康が共に不信を抱いた

 甲斐国の武田信玄と駿河の国の今川氏と同盟を結んでいたが、父・義元の死によって遠江の国衆たちが今川に叛き混乱状態となった。     このことにより、信玄が今川領に対する野心が生まれ …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。