美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2022年6月6日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
廃藩置県後の岩村城下町は?川を挟んだ侍屋敷と商家の地域
観光客の多くの皆様は商家の城下町の方を歩いていますが、岩村の町はお城ができて約830年の歴史がある町です。 そのため岩村川を挟んで侍屋敷も幾多の地区にあったし、城山の麓に …
清少納言は中宮・定子に仕えたー紫式部は中宮・彰子に仕えた二人の関係図
清少納言は、藤原道隆の娘・定子に正暦四年(993年)前後に仕えて長保3年(1001年)頃宮廷を去っています。 一方、紫式部は藤原道隆の弟・藤原道長の娘・彰子に寛弘2年(1 …
遠山氏は美濃東部の岩村城に本拠地を置き菩提寺大圓寺に希庵和尚を迎える
建武2年(1335年)に岩村城主の遠山三郎が、遠山一族の総力を結集して菩提寺の大圓寺を建立した。 大圓寺は、建武2年(1335年)から戦国時代の末期の元亀3年(1572年)まで美濃国恵那 …
承久の乱で御家人を動かした北条政子の神演説で後鳥羽上皇軍を破った
▲加藤景廉一族の墓(沖の原五輪の塔) 我が故郷の岩村城の祖の加藤景廉が、頼朝より地頭を賜ったのに、承久の乱後、加藤景廉が亡くなった。 承久3年(1221年)8月3日没。 &n …
鎌倉幕府の滅亡と南北朝そして室町幕府の始まり
鎌倉幕府の滅亡のきっかけは、 天に守られている大蒙古国の皇帝から日本国王にこの手紙を送る、といって手紙が送られてきた。 その手紙の内容は、 昔から国境が接している隣国同士は …
2024/07/19
2024/06/22
伊達騒動の真相は3代城主・伊達綱宗の放蕩から4代城主・伊達綱村の隠居で終わる
2024/06/15
黒田騒動のお家騒動は家老・栗山大膳や重臣等が幕府に訴えた事件
2024/05/28
前田利家の金沢城加賀騒動をわかりやすく説明
2024/05/21
江戸時代の三大お家騒動は加賀騒動・黒田騒動・伊達騒動と他のお家騒動19件
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村