美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

菊姫

岩村町の歴史の伝説は“いわむら昔ばなし余話”から姫塚

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   岩村在住ですけど伝説の話はよくは知らないけど改めて読んでみると、伝記と文献を合わせてより真実を知りたいと思うのは僕だけでしょうか?

 

 

岩村には伝記がいっぱいありますが、まずは「姫塚」という話を取り上げて紹介します。

 

場所は飯羽間、飯羽間城跡を西に上がって行くと上平(うえだいら)にあります。

 

 

これを読んでいると、なるほどと思える部分があります。

例えば、木曾義仲と岩村・遠山氏どんな関係があって、義仲の妹・菊姫が岩村にやって来たきたのだろう?

 

 

確かに木曽義仲加藤景廉は鎌倉で顔を合わせていただろうに・・大河ドラマでは放送されません。

 

 

なのに菊姫が岩村に来て余生を過ごした・・と疑問に思いました。

 

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いわむら 昔ばなし余話より

姫塚という塚があります

飯羽間に姫塚と呼ばれるがあります。

もともとは五輪塔(上から空・風・火・水・地を表す石塔)であったと思われますが、いまは、塔身(水の部分)のみを残し、左右に立派な供養塔が建っています。

 

姫塚の由来は二説あります。

 

 

その一説は

天正3年(1574年)武田信玄の武将・秋山虎繁の攻撃により飯羽間城は落城しました。

 

 

城主には幼い姫がいましたが、里人たちはこの姫を憐れんで武田軍から、かくまいましたが、間もなく姫は父の死を悲しみ抜いて死んだので、ここに葬ったそうです。

 

という話(原文のまま)です。

※ここに飯羽間城のことが書いた関連記事があります。興味のある方は読んでください。

 

 

 

もう一つの説は

木曾義仲菊姫という妹がいましたが、義仲の死後、遠山荘の一寒村に隠れて住みました。

         ▲菊姫イメージ(昔ばなし余話から)

 

 

菊姫は美しく妖艶で、かの有名な武将の妹ということで里人は大切にしました。

 

 

菊姫が亡くなると塚を築き丁重に弔ったといいます。

どちらにせよ美しい姫を供養する塚です。
以上原文のままです。
とありました。

 

 

頼朝は従兄弟の木曾義仲を討ち、頼朝の長女・大姫が慕っていた嫡男・木曽義高を殺害、義仲の妹を憐れんだ政子が妹・菊姫を助けた。

※ここに詳しく書いた記事があります。興味あある方は読んでください。

 

個人的な意見ですが菊姫の方じゃないかと思います。

 

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まとめ

菊姫の件は、政子が夫・頼朝が木曾義仲、嫡男・義高を討ったことの詫びと、木曽に近い最も信頼のおける家臣・加藤景廉に預けたんじゃないかと思います。

 

 

-菊姫

執筆者:

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。