美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2023年6月23日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
江戸幕府はなぜ265年も長く続いた理由は埋蔵金と武家諸法度か
江戸幕府は265年もの間、どのよう仕組みを使って国を治める事ができたのか? これは家康が仕組んで亡くなったのか?各将軍になった者が考えついたのか? &n …
徳川家康の側室の一人養珠院・蔭山殿は徳川頼宣・徳川頼房を産む
徳川家康は多くの側室を持った 家康は今川義元の人質となって、義元の縁者・姪の瀬名姫を正室として結婚をした時は、今川家にいてさすがに側室という訳には行かず遠慮してた家康だが、織田信長による桶狭間の戦い …
北条早雲 =伊勢宗瑞が小田原城を奪取するのに密かに作戦を練る
北条早雲=伊勢宗瑞が「北条早雲」と呼ばれるようになったのは、彼の死後のことです。 生前は伊勢宗瑞や伊勢新九郎と名乗っていました。 「北条」の姓を名乗るようになったのは …
本能寺の変の真実は以外やいがい斎藤利三と家康の陰謀で起こった黒幕は•••
ここに、斎藤利三という人物が現れ、それは何者で誰じゃんと読者は怪訝な顔して不思議に思う人もいるでしょう。 ▲斎藤内蔵助利三の図 …
岩村の隣り大井宿は中山道46番目の尾張藩の宿場町、本陣跡の観光と甚平坂石仏群。
昭和30年代大井宿は「大井は中津のちょっとこっち」と言われてた時があった。 美濃国岩村藩から中山道の大井宿まで12里の近さでですが、なぜか尾張藩です。 大井城は、永享年間(生長のあと、嘉 …
2025/03/10
家康が名刀 童子切安綱を次男・義伊松に餞別に渡したとされるが行方は?
2025/03/07
【悲運】家康の次男・結城秀康が将軍になれなかった背景
2025/03/01
先代5藩主たちの浪費が招いた財政難を若き上杉鷹山たちが改革
2025/02/22
上杉鷹山の財政改革を現代日本の政治家たち是非学ぶべき教訓
2025/02/15
恵那市岩村町の岩村醸造の女城主の蔵開【2025年2月22・23、3月1日・2日】
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村