美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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後宮に仕える女房・女官は身分は違えど七殿五舎に帝と妃と共に暮らす

投稿日:2024年1月23日 更新日:

 紫式部、和泉式部清少納言は、女房(にょうぼう)と呼ばれる職業でした。

 

 

この三人は夫と死別や離婚で独身だったので、出仕中はだれかの奥さんだったわけではありません。

 

 

彼女たちの仕事は宮中ではたらく「宮仕え」宮中では多くの女官(にょかん)がはたらいていて、そのうち上級女官にはそれぞれ(部屋)が与えられていました。

 

 

自分の房を持った女官を女房と呼んだのです。

女官たちの主な職場は后妃たちが住む奥御殿

 

 

天皇の住居である内裏(だいり)の北半分を占めており、後宮(こうきゅう)とも呼ばれます。

 

 

そこには後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)といって、次のような役所がありました。

内侍司(ないしのつかさ)
蔵司(くらのつかさ)
書司(ふみのつかさ)
・薬司(くすりのつかさ)
・兵司(つわもののつかさ)
・闈司(みかどのつかさ)
・殿司(とのもづかさ)
・掃司(かもりづかさ)
・水司(もいとりのつかさ)
・膳司(かしわでのつかさ)
・酒司(みきのつかさ)
・縫司(ぬいのつかさ)

★名前から仕事が想像できるでしょうか。

薬司が薬、掃司が掃除を担当するのはみたままです。

書司は書物と楽器を扱い、兵司は本当に武器を担当していたそうです。

 

 

人数が多かったのは内侍司で、ここは今でいう秘書室のような役割を果たしていました。

つねに天皇のそばに控えていて、お言葉の伝達などが仕事だったようです。

 

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七殿五舎とは

七殿五舎とは、平安京内裏の紫宸殿や仁寿殿の後方に位置し、主に天皇の后妃の住まう殿舎を指します。

 

これは後宮と総称され、后妃以外にも東宮やその妃、また親王・内親王などもしばしば殿舎を賜った。

 

 

七殿とは‥‥弘徽殿・承香​​殿・麗景殿・登華殿・貞観殿・宣耀殿・常寧殿
五舎とは‥‥飛香舎(藤壺)・凝花舎(梅壺)・昭陽舎(梨壺)・淑景舎(桐壺)・襲芳舎(雷鳴壺)。

 

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皇后・女御・更衣など

後宮では、天皇とその皇妃を頂点として、その世話をする女房、女官たちが仕えていた。

 

 

妃にも位があり、平安中期は上から皇后(中宮)・女御(にょうご)更衣※1の順に位置付けかなされています。

※1.更衣(こうい)とは、中宮・女御に次ぐ立場の妃。位の低い貴族の娘が帝の着替えに奉仕したのが始まりで、帝の居室や寝室において身近で仕えるため、寵愛を受けることもあった。そのため上級貴族の娘も更衣になり、そこから中宮や女御に上がる者も出た。

 

 

女御は皇族や大臣の娘がなり、そのなかから皇后へと昇格した。

中宮はもともと皇后の通称だったが、一条天皇の治世、娘を后にしたいと望んだ藤原道長が、中宮の定子(姪、兄・道隆の娘)皇后としたうえで、自分の娘・彰子を中宮にして一帝二后にしてしまった。

 

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「上の女房」と「宮の女房」

女房には天皇に仕える「上の女房」※2と后妃に仕える「宮の女房」がいます。

※2.「上の女房」とは、内裏女房とも呼ばれる女官です。

 

 

「上の女房」は後宮の公的な女官ともいえる後宮十二司も含まれ、その筆頭は天皇の側に仕えて、そのお言葉を伝える内侍司(ないしのつかさ)の長官である尚侍(ないしのかみ)で、これに典侍(ないしのすけ)掌侍(ないしのじょう)を合わせた三職がトップ集団とされました。

 

 

「宮の女房」は后妃が実家にいたときから付いていた女房で、後宮に入った後に女叙位を受けていたものの、私的な性格は持ち続けていたと考えらレます。

紫式部清少納言「宮の女房」に属していました。

 

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平安後宮の女性の身分と階層

女房・女官の階層

女房の職務・上臈

中宮の食事の給仕を努める役目の者、髪をすいたり化粧をしたりする役目の者、中宮を楽しませる役目の者などがおり、禁色※3が許されていた。

官位:大臣や大納言の娘などは三位以上です。

※3.禁色(きんじき)とは、天皇以下公暁以上が、その地階によって着用を定められた※4の色。下位の者の使用は禁じられた。

※4.袍(ほう)とは、束帯の最後に着る衣服。袍の色は天皇黄櫨染(こうろぜん、茶色の色)、東宮(皇太子)が黄丹(おうに、燈系の色)、上皇諸臣四位以上が黒五位が緋(あけ、赤系の色)六位以下が縹(はなだ、青系の色)と決められています。

 

 

女房の職歴・中臈

女童(中宮や姫君の身の周りの世話をする未成年の少女)や下臈の女房たちの仕事を監視し、雑用もこなした。

清少納言紫式部はこの階層に属していました。
官位;四位〜五位。

 

 

女房の職務・下臈

下級の女官で後宮十二司に勤務する。中宮・上臈の人とは会話をする機会がほとんどないです。

官位;摂関の家司や神社の家の娘たちが務める。

 

女官の職務・その他

采女、刀自老女、雑仕、女童など下級の女官です。
官位:無し

 

 

平安時代の女性の身分

帝の妃と妃

中宮ちゅうぐう)・・・・皇后(正妻)と同資格を持つ妃。女御から昇格する。もとは皇后の別称であったが、平安時代、皇后が複数立った際に最初に立妃した者を中宮と称するようになった。

 

 

女御(にょうご)・・・・中宮の次位。皇族や大臣の娘がなる。元は「嬪」※5と同じだったが、後に皇后に昇る前の地位となった。

※5.嬪(ひん)とは、古代、天皇の寝所に侍する女官。皇后・妃・夫人の下位。四位・五位の者で、後世の女御・更衣にあたる。

 

 

更衣(こうい)・・・・女御の次位。大納言以下の貴族の娘がなる。もとは天皇のk着替えを担当する女官であったが、後に寝所にも供奉するようになり、妃の待遇となった。

 

 

女官・女房

尚侍(ないしのかみ)・・・・内侍司(後宮の役所)の長官。摂関家の娘などがなる。

 

典侍(ないしのすけ)・・・・内侍司の次官。

 

掌侍(ないしのじょう)・・・・内侍の司の三等官

その他・・・・後宮に仕える者から貴人に私的に仕える者もいた。

 

 

斎王

斎宮(いつきのみや)・・・・伊勢神宮に奉仕する皇女。天皇の即位ごとに未婚の内親王か女王から選ばれる。

 

斎院・・・・賀茂神社に奉仕する未婚の内親王か女王。

 

 

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