美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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 岩村城は武田信玄と織田信長の戦いがあったことは、地元だから何となく聞いて知って過ごしてきました。   関ヶ原の戦い後のことは、お城山のことは、興味も無かったから知らなかった。   …

桶狭間の戦いの当日松平元康は大高城にいたーそして信長軍から逃げた

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徳川慶喜の家系図と正室・有栖川宮の娘美賀君と渋沢栄一の関わり

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岩村城の石垣は阿木川から持ってきて六段壁・本丸・出丸作った

 岩村城の案内をすると、岩村城の規模は一の門内の本城のみをいうと周囲1,2 55m、本丸は東西31m、南北66m。     二の丸は東西58m、南北63mあり、他に出丸、東曲輪、帯 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。