美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

くじ引で将軍になった僧侶の義円(のちの足利義教)だが裏目にでた政策

   足利義満の子供で第四代将軍になった足利義持が後継者の決定を重臣に委ねたため、畠山満家らは、石清水八幡宮社前のくじで将軍を決定になってしまった。 選出されたのは青蓮院門跡義円、のちの義教でした。 …

信長・秀吉・家康の歳の差と出身地と3英傑のホトトギスで性格を見てみよう

尾張国は三英傑を出した地です。 誰でも知っている信長・秀吉・家康の三名です。     それぞれ生き方、人の使い方は一長一短ですが、あなたなら誰が好みでしょうか?   &n …

清和天皇の家系図を辿ると源頼朝・河内源氏に繋がった!

   清和天皇は、先代・文徳天皇の第4皇子として誕生、3人の兄達をすっ飛ばして皇太子になったとき、わずか8ケ月、いくらなんでも無茶すぎますが、当時、藤原氏の時代、母が一族の姫だっため、母方の祖父・藤原 …

北条義時の死因は!暗殺か?享年62歳で急死 した

北条義時が元仁元年(1224年)6月13日に62歳の生涯を閉じた。『吾妻鏡』によると‥     【原文】前奥州病痾已及獲麟之間。以駿河守爲使。被申此由於若君御方。就恩許。今日寅尅。 …

遠山氏は美濃東部の岩村城に本拠地を置き菩提寺大圓寺に希庵和尚を迎える

  建武2年(1335年)に岩村城主の遠山三郎が、遠山一族の総力を結集して菩提寺の大圓寺を建立した。 大圓寺は、建武2年(1335年)から戦国時代の末期の元亀3年(1572年)まで美濃国恵那 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。