千年の昔紫式部が執筆した『源氏物語』、容姿と才能に優れた 光源氏の愛欲と苦悩を描く平安期の王朝物語であり日本が世界に誇る古典文学です。
源氏物語で光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持って須磨の地 …
全54帖からなる超大作の中で、「須磨」(十二帖)「明石」(十三帖)から筆を起こしたとされる。
琵琶湖畔の石山寺で、湖水に映った十五夜の月から物語の着想を得て、まず須磨・明石から書きとどめたと、14世紀の注釈書「河海抄」は伝えています。
なぜ光源氏が須磨へ逃亡しなければいけなかったか、簡単に背景を書きます。
光源氏の父である桐壺帝は、権勢を誇る右大臣の娘・弘徽殿女御を迎え二人の間に出来た東宮(桐壺帝の第1皇子。光源氏の異母兄、右大臣の派閥)と光源氏(桐壺帝と桐壺更衣の間に生まれた第2皇子は臣下にくだった、左大臣の派閥)の関係が背景にあります。
さらに、右大臣の六番目の娘・朧月夜を東宮の女御として入内させるつもりでいました。
つまり朧月夜はバリバリの右大臣サイトの姫君で東宮である第1皇子はベタ惚れで入内を強く望んでいたのです。
一方、 光源氏は政敵関係にある右大臣と孫である第1皇子(異母兄)と仲良く慣れるはずもない)
このような背景があった上で宮中の桜見の宴の後に、弘徽殿女御の妹・朧月夜(右大臣の娘)とは知らず関係を持ったのです。
その後も朧月夜との逢瀬をこっそり続け、ある夜、朧月夜の父である右大臣が娘の寝所に踏み込んで光源氏と遭遇してしまった。
破滅の道を歩む
父である桐壺帝は亡くなって、東宮(光源氏からみると異母兄)が即位して朱雀帝になるのですが、時は右大臣派と左大臣派で政争が繰り広げられていました。
そして光源氏は、左大臣の姫・紫の上を正妻として迎えています。
よって右大臣サイトは、光源氏が朱雀帝の女御として入内予定の朧月夜と関係を持った事をネタに左大臣派である光源氏を陥れて罰しようと、水面下で画策します。
いわば、今上帝に対する不敬罪・反逆罪で、ところがこれを察知して政界から身を引き、捕まる前に須磨へと隠遁(いんとん)した。
須磨へ行く決心
政敵の右大臣の娘・朧月夜との密会が露見してしまったことを機に、右大臣方の動きから官位剥奪の危機を察知し自ら須磨へ退却し謹慎することを決めた。
流罪になる前に都を離れてしまえば、それ以上厳しい罰には問われないだろうし、東宮も安泰だろうとの目算もあった。
左大臣・花散里・藤壺・紫の上の別れを告げて旅たった。
正妻・葵の上の死後は、藤壺の姪・紫の上を妻にし、贈答歌を出している。
▲光源氏が平安京から須磨に向かう経路
光源氏からの贈答歌
身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の かけは離れじ
意味は:
遠くへ流れても心はあなたの側にある鏡のように離れはしません。
紫の上からの贈答歌
わかれても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし
意味は:
お別れしても鏡にあなたの影がとどまって蹴れれば慰めにもなりますが・・・
須磨での暮らし、秋の寂しさ
愛する人たちを都に残し、光源氏の須磨での侘しい謹慎生活、5月雨の頃は、親しんできた女君たちに文を書いて心慰めます。
涼しくなれば、秋の夜長目覚めて寂しさに咽びます。
一方で、須磨の海人たちのなまり言葉で聞くうちに、人間の喜びや悲しみ、怒りや楽しみは、住まいや身分に関わらず、皆同じなのだ…と知らされ、感動するのでした。
都の殿上人※2たちからも、時々便りがあったのですが、それが弘徽殿大后の逆鱗に触れてからは、ふっつりと音沙汰がなくなりました。
※2,殿上人(てんじょうびと)とは、宮中で身分の高い人々。
そんな中、親友の頭中将が、須磨まで訪ねてきたのです。
弘徽殿大后に須磨訪問が知られれば、罪に問われかねません。
「それでもかまわぬ」。
光源氏を見捨てることはできない」という覚悟で訪ねて来てくれました。
彼の友情が身にしみていました。
ところで3月初旬のよく晴れた日のこと「悩み事のある人は今日、お祓(はら)いをするとよい」と言う者がいました。
将来が見えず、沈んだ日々を過ごす 光源氏はその気になって、陰陽師※3を呼び、海辺でお祓いを始めます。
※3.陰陽師(おんみょうじ)とは、占い師。
実にのどかな日和でした。
ところが、お祓いの途中で、前触れもなく空が真っ暗になり、突如、暴風雨になったのです。
海面が、光でみなぎるほどの稲妻がひらめきました。
しかも次の夜からは、夢か現か、源氏の寝床の周りで怪しい物がはい回るようになります。
日を経ても、暴風雨は止みそうにありませんでした。
その中を、都から紫の上の使者が、ずぶ濡れになって到着しました。
京でも同様の異常気象が続いているというのです。
厄除けを行っても事態は変わらず、政治もできない状況といいます。
光源氏はこれらの状況を打開すべく、住吉大社の神に祈願しました。
しかし、やはり暴風雨は少しも収まりません。
それどころか、 光源氏の寝所近くに雷が落ち、廊※3が焼け、炎は空高く燃え上がり、人々の泣き叫ぶ声は、雷鳴に劣らなかったとか…。
※3.廊(ろう)とは、家屋と家屋を結ぶ渡り廊下のようなもの。
落雷炎上の騒ぎの夜、仮の寝所で 光源氏がまどろんでいると、亡き父が夢に現れ、「ここを早く立ち去れ」と命じます。
時を同じく、須磨の浦に、小舟を漕いでやって来た者がありました。