美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

渋沢栄一の前半生の年表!ちょんまげ頭からざんぎり頭の波乱万丈の人生

 渋沢栄一は血洗島で生を受け、尊王攘夷に明け暮れ、従兄の喜作と共に京都へ出て、平岡円四郎に出会った事により道が開けて行った。   一農家の人間が、一橋家の家臣になって慶喜公に謁見できるなんて …

鎌倉時代の岩村城主・加藤景廉が頼朝に仕え承久の乱までの生涯

 岩村町の東には八幡神社に加藤景廉が・西の武並神社には遠山景朝が神として祀られている。   岩村の町は、下の図のように東西に伸びています。東へ行けば上村町(現・上矢作から信州)西へ行けば大井 …

紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房

   赤染衛門の生涯は、平安時代中期の女流歌人であり、藤原道長の妻・源倫子とその娘、中宮・彰子に仕えた女房です。     紫式部は同時代の女房で、一緒に学問を指南し合い交流を深めた …

家康はなぜ浜松城に移ったのか?ーその後の浜松城主たちの出世は

 家康は「桶狭間の戦い」は、人質生活から解放されるキッカケとなったが、苦難の道が待ち構えていた。     大高城を離れて大樹寺、岡崎城に戻り、そして今川氏と決別した。 永禄11年( …

北条義時の死因は!暗殺か?享年62歳で急死 した

北条義時が元仁元年(1224年)6月13日に62歳の生涯を閉じた。『吾妻鏡』によると‥     【原文】前奥州病痾已及獲麟之間。以駿河守爲使。被申此由於若君御方。就恩許。今日寅尅。 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。