美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2020年6月5日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
明智光秀の本能寺の変・・・徳川家康の異様の行動三日間の伊賀超えとは
の事件(本能寺の変)は不可思議といっていい程不思議な事件だと思います。 事実は曲げられて伝えられて、憶測で物語が作られています。 光秀が大軍を引連れて「敵は本能寺」といって …
源頼朝と愛妾・大進局の子四男・亀王丸が源氏将軍を繋がなかった理由
平家を倒しせっかく鎌倉幕府を築いたのに、当の本人が馬から落ちて亡くなってしまう。 これは予期せぬ出来事、2代目の頼家は伊豆国修善寺に幽閉され暗殺、3代目の実朝も、武士として初め …
北条義時とは?頼朝と姉・政子と八重姫と何歳の差があったか?
北条義時といったら、北条政子の弟だといぐらいは知っています。 何をしたかというと、あまり理解をしてない。 1163年(応保3年・長寛元年)に、北条時政の次男として生まれた …
紫式部日記が書いた中宮・彰子の長男・親王誕生をわかりやすく解説
日本の古典中で有名なのは、紫式部が書いた『源氏物語』です。 その『源氏物語』は3部構成になっており、中宮・彰子への出仕前に執筆が開始されていきます。 以降、段階を経て第二部、第三部と続いていきま …
岩村遠山氏を軸に十八支城の一つ苗木城の創築者と城主は
遠山氏になってのは、初代・遠山景朝に始まった。 景朝の父・加藤景廉が岩村を統治する前に、この岩村の地に来て、現・岩村町山上の邑長の山上元岩村町長の先祖に頼まれて山賊・野武士を退治したという伝説がありま …
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村