美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

平安時代の藤原氏の四家で勝ち残って摂関政治を手中に握った北家の藤原道長 

   紫式部は藤原北家良門流の越後守・藤原為時の娘で、母は摂津守・藤原為信の娘であるが、幼少期に亡くしたと言われるが、生きた時代は、藤原氏の全盛期にあたります。     もともと藤 …

若き松平元康は桶狭間で人質から解放され信長と清洲同盟を結ぶ

 家康(元康)のことを知っていそうで知らない。 6歳から19歳まで今川義元に人質になっていた事は知っていると思います。     家康の幼名時代の名前が竹千代でした。 元服した時は、 …

源頼朝と愛妾・大進局の子四男・亀王丸が源氏将軍を繋がなかった理由

   平家を倒しせっかく鎌倉幕府を築いたのに、当の本人が馬から落ちて亡くなってしまう。     これは予期せぬ出来事、2代目の頼家は伊豆国修善寺に幽閉され暗殺、3代目の実朝も、武士として初め …

美濃国岩村町の歴史ーなぜ?約830年も前に城が築かれたのか?

源頼朝の重臣・加藤景廉が遠山荘の地頭になり、嫡男・加藤景朝が築城したのが始まり。                                    ▲記者である隆太郎が案内をします。 & …

桶狭間の戦いの当日松平元康は大高城にいたーそして信長軍から逃げた

   戦国時代も半ばを過ぎた頃、駿河の守護大名今川義元(42歳)と尾張のうつけ織田信長(27歳)が桶狭間で衝突、その時、松平元康(17歳)は今川の先鋒で大高城へ兵糧の役目を仰つけられていた。 &nbs …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。