美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2021年3月12日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
岩村藩出身の下田歌子は実践女子学園創立ー明治天皇の妻・美子に可愛がられ女官
下田歌子という名前は、物心がついた頃から知っていた。 地元なので、小学校卒、中学校卒、高校卒で、常に城山と城下町があったので知ってました。 僕自身教養がないので、何をした …
毛利輝元は祖父に毛利元就をもち信長・秀吉・家康とどう付き合ったか?
毛利輝元は豊臣秀吉と深く関わる人物、この輝元の祖父は、一代で小規模な国人から中国地方の覇者となった毛利元就です。 毛利家の毛利元就は織田信長と親しくしていた戦国武将です。 …
岩村城下町の中心に枡形地形がある祥雲寺(庚申堂)の三基石仏。地元最古の石像物。
岩村名物「水半漬物販売店」の前の桝形地形、岩村町の中心場所。 そういえば岩村警察があった、当時商店街にはネオンサインがキラキラと灯っていた。 その反対側には昔から「八日ゑびす」をやるお宮 …
岩村町の女城主の里!古地図をみながら史跡スポットを巡ろうーCの章
Cの章は岩村町の西に位置する新町から領家を案内します。 岩村町は東の八幡さまから西の武並さんと東西に長い城下町(勾配のある)が続きます。 下記の地図を見ていただくと分かる …
徳川家康のあだ名が「タヌキ親父」と呼ばれる由来は
世間一般に徳川家康の事をタヌキ親父というあだ名で呼ぶようになったか? その由来は・・・ なぜ、そう呼ぶのか?どのような意味や語源があるのだろうか?そもそもタヌキという言葉にはどのような …
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村