美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2021年5月19日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
承久の乱で頭角を現した美濃国・岩村城主・遠山景朝と朝敵・一条宰相信能
遠山景朝は父・加藤景廉の働きで頼朝公より岐阜県恵那郡の遠山荘の地頭を賜ったが、自身は頼朝の意向によって鎌倉に留まって頼朝を助けた。 ▲頼朝が加藤景廉に長刀を渡して、この刀で山木兼隆の首を取ってこ …
源頼朝の死の原因は落馬か怨恨か暗殺か病気説か謎だらけ
頼朝は朝廷政治から武家政治に変えた人物で、武家政権が徳川末期まで続いた。 なのに源頼朝のドラマ・映画はないですね。 何故かと言うと、頼朝が先頭に立って戦ったという武勇 …
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
紫式部は970年代(生没年はハッキリしていない為、天禄4年/天延元年)頃に、中流貴族・藤原為時の娘として生まれました。 学者の家系に生まれ漢籍の知識豊かな女の子と成長して …
義高と大姫の純愛が親同士の争いで突如悲劇になる
源頼朝の最初の子といえば、平氏の伊東祐親の娘・八重姫との間に生まれた千鶴丸います。(祖父の命で殺される) 八重姫の親に反対され子供まで殺されてしまい、狙われる羽目にな …
中津川市の阿木城は岩村城を守る遠山十八城の一つであった
阿木城跡ってどこにあるんですか?という質問がよくあるんですが、 阿木字大門前(見沢地区)にあります。 阿木八幡神社裏の小高い山が阿木城跡です。 登り口は恵那ディーゼル横の …
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村