美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2018年3月17日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
松平信康の切腹はなぜ起きたかの真相を詳しく追求ーその後子供や五徳は?
松平元康(家康)が今川義元の人質生活のとき、義元の姪の瀬名姫と結婚して、長男・長女を授かった。 その長男が、竹千代(信康)は、永禄2年(1559年)3月6日、松平家康の長 …
飯羽間城の場所は岩村城の西北にある支城の中でも最前戦城であった
飯羽間城には、伝説“姫塚”という話が伝わっております。 上飯羽間に姫塚と呼ばれる塚があります。 もともとは五輪塔(上から空、風、火、水、地を合わせた石塔)、いまは塔身の水 …
徳川家康のルーツの松平氏という名前の由来と清和源氏出の疑問
読者の皆さんこんにちは、徳川家康のルーツは松平氏だといってます。 松平氏という苗字に疑問を抱いた事ないですか?なんで松平がルーツだといえますか。 どうしてかというと、 …
女城主おつやは降伏の条件で敵将に求婚された絶世の美女長良川で磔死
こんにちは岩村町出身の歴史好きの隆太郎です。 岩村町には、今から約830前の鎌倉時代からの岩村城の歴史が残っています。 例えば、加藤景廉が山上村の邑長と会って、思案 …
真田幸村は大坂夏の陣で真田丸を造って徳川軍をキリキリ舞いさせる
大阪冬の陣は、慶長19年(1614年)に家康が大阪城に戦いを挑んだ戦いです。 豊臣側に参戦したのは浪人が多く、その中に、浪人五人衆(後藤又兵衛・長宗我部盛親・毛利勝永・明石 …
2024/04/28
紫式部と親交のあった女流歌人・赤染衛門ー藤原道長の正妻・源倫子と彰子に仕えた女房
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村