美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

勝者・秀吉の挫折と 蟹江合戦局地戦で敗北直後に書かれた新発見書状の意味

   賤ヶ岳の戦いで秀吉と組んでいた信長の次男・織田信雄が、秀吉の勢力拡大に対して、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と織田信勝が徳川家康に助力を依頼して二手に分かれて戦ったのが「小牧・長久手の戦い」です。 …

武田信玄が晩年の病に抗った「隠し湯」の謎|、天下人が命を託した3つの名湯

武田信玄の「隠し湯」 なぜ信玄は温泉をこよなく愛したか? 信玄は晩年、胃がんや結核、あるいは寄生虫病(日本住血吸虫症)だったという説がありますが、信玄はは自分の体を守るために、特に「内臓疾患」や「不治 …

天才軍師・竹中半兵衛の知略 ! 織田信長が恐れた稲葉山城奪取の真実

織田信長も攻め切れなかった難攻不落の稲葉山城(岐阜城)をたった1日で乗っ取った若き軍師、驚きの竹中半兵衛。     戦国時代には、数多くの名将が現れたが、「頭脳」「智謀※1」だけで …

川中島の戦い=八幡原の戦いで武田信玄・上杉謙信のそれぞれの戦術

そもそも、武田晴信=信玄と長尾景虎=謙信との間で川中島の戦いはどうして始まったのか?     天文22年(1553年)に武田信玄が北信濃に出兵した事により始まった戦いです。 &nb …

小早川秀秋は関ヶ原の戦いでなぜ東軍(家康)に寝返ったのか

 小牧・長久手の戦い後、豊臣政権の中、秀吉が後継者の秀頼が幼いため政務が出来ない事を心配して五大老・五奉行を置いた。       五大老とは、徳川家康・毛利輝元・前田利家 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。