【日本三大山城】岩村城の歴史

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

三好學 未分類 菖蒲

岩村藩の『桜博士』は松平乗命に家来、三好學は明治・大正。昭和時代の植物学者、理学博士。

投稿日:2019年2月21日 更新日:

日本の植物学の基礎を築いた「桜博士」は岩村藩の武士

岩村藩出身著名人3名

●佐藤一斎は、江戸時代後期の儒学者。
門下生には、佐久間象山・山田方谷・渡辺崋山などがいて、一斎の著者である『言志四緑』は幕末の西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬などに影響を与えた。

 

 

「この人物いなかったら、日本の夜明けはなかったかもしれない」と言われています。

 

●下田歌子は、 幼名は平岡 銘(せき)代々学者の家の平尾家に生まれる。

幼少の頃から漢学と和歌を学び才女の名が高かった。

 

 

明治4年に18歳で上京し、翌5年に宮内省に出仕し、同年皇后陛下(美子:はるこ)様より「歌子」の名を授かり、下田歌子として女子教育の道に進み、実践女子学園・女子工芸学校を創設した。

 

●三好 學は、天然記念物制度を提唱した現代植物学の祖。博士として有名です。

 

 

   
 ▲桜(イメージ)

 

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美濃国岩村藩の第7代藩主松平乗命(のりとし)、松平乗命は岩村藩大給松平家8代です時代に。三好 學は文久元年(1861年)12月岩村藩江戸藩邸で生まれた。

※上記の大給をクリックしてください、大給(おぎゅう)とは何だろう?

 

              ▲岩村城

 

出生後は岩村で幼年期を過ごした
三好家は岩村藩では、家老に次ぐ名家で、百五十石から百三十石の禄を受け御側用人、御勝手用人等を務めた家柄であった。

 

 

明治2年(1869年)版籍奉還江戸(東京)より岩村に移る。
父・三好友衛は岩村藩庁の頃二等待遇、円機隊司令官、少参事などを務めた。

 

 

明治5年(1872年)急逝したため、そのとき三好 學11歳

 

 

翌年明治6年(1873年)福井県坂井郡三国町の浄土宗西光寺の住職に引き取られて、そこで学んだ、明治9年(1872年)にのちの石川県第三師範学校に入学し、明治11年(1878年)石川師範学校を卒業。

 

 

卒業後は岐阜県へ戻り、土岐郡土岐学校(現・瑞浪市立土岐小学校)の教員及び校長になる。

 

 

 

學は自身の授業内容を詳細に記した「授業日誌」ならびに教科書を著作した。これらは当時の教育の詳細を知る貴重な資料となっている。

                          ▲岩村名物「菊牛蒡味噌漬」の名付け親

 

 

明治15年東京大学予備門に入学し、明治18年卒業と共に東京大学理科へ入学。

 

 

明治22年(1889年)東京帝国大学理学部生物学科 を卒業し、大学院在学中の明治22年(1891年)にドイツに留学し、ライプチヒ大学でベッファーに植物学を学んだ。

 

 

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帰国後の明治28年(1895年)5月に帝国大学教授に就任、理学博士になる。
植物学の研究を続け、東京帝国大学教授時代の論文は100編以上、その著者も100冊以上と言われています。

 

 

日本に「記念物(デンクマール denkmal)」の概念を広めた人物である。
大正2年(1904年)5月高等官一等に叙せられた。

 

 

この頃欧米各国に出張を命ぜられた、大正6年(1908年)勲二等瑞宝章を授けられ、大正9年(1911年)には、帝国学士院会員となり、同年に従三位に叙せられた、同年帝国学士院会員、大正11年(1913年)東大理学部附属植物園長に補せられた。

 

 

世界的植物学者として学界に貢献する。
我が国の植物学界の黎明期※1にあって、植物研究に大きな足跡を残し、その礎を築き、幾多の優秀な学徒を育てると共に植物学者として天然記念物の保護活動に多大の功績を残した。
※1:黎明期(れいめいき)とは、夜明け、新しい時代が始まろうとする時期という意味。

 

 

 

大正12年(1923年)には東京帝国大学名誉教授となる。
1918年に徳川義親により設立された徳川生物学研究所の評議員を務めた。
終生植物研究を続け、桜・菖蒲の研究、および天然記念物保存事業に力を注いだ。

 

 

地学学者の辻村太郎が1937年に著した「景観地理学講話」の中で「景観」という言葉を生み出した人物として取り上げている。

 

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