美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

大給松平家 岩村城

鎌倉幕府の開創から徳川時代に至るまでの『岩村城の城郭の構造と藩主邸。』

投稿日:2019年3月9日 更新日:

恵那市岩村町ってどんなとここ?

そんなに古い歴史の町?

お城「岩村城」があったの?と思われる方がいることでしょう。

 

ここが城山の麓の藩主邸跡です。
昔は野球場と言って使って、年に一回のイベントとして町民運動会の会場として、また関取が巡業で使っていました。

 

               資料館があります。

      
                  ▲ここが岩村城藩主邸跡、いまは知新館・佐藤一斎の銅像・岩村町資料館があります。

 

 


▲岩村資料館のリーフレット

 

 

 鎌倉幕府の開創以来徳川幕府に至るまで、日本の武家封建時代の全期に亘って,今から八百三十余年、当時は東濃一円を支配した根據地(こんきょち=活動の本拠となる地点)は、美濃国岩村城でした

 

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こような長い歴史をもつ場所は日本城郭史にも例を見ない所で

 

 

岩村城の変遷(へんせん=時の流れとともに移り変わること。移り変わり。推移。)日本城郭史の縮図とも云える。

 

 

岩村城は山城典型的(てんけいてき=物事の最も特徴的な性質を示しているさま。または、そうした物事。)なもので城山全山の天険(てんけん=地勢が険しくなっている所。自然の要害。)を利用して構築された城です

 

 

山といっても小峰はいくつかあり、谷あり根あり単純な地形ではない。
それを利用して※1十一もあり、その要所々々に建てられ何れの方面の敵の襲来をも監視できるようになっている

 

 

いわゆる天守閣というものはないが、それは平城に於ける天守閣の如き望棲を必要としないからである。

 

 

城内を分かって本丸、二の丸、八幡曲輪、東曲輪、出丸、帯曲輪等いくつの区別がある。

 

※岩村城へ登城する場合は藩主邸を過ぎて、下田歌子の勉学所を通り越して「藤坂」へ向います。「藤坂」の名は加藤景廉の妻が紀州藤城村から持ってきた藤の実を植え大木になったという伝説が因んでいる。そして一の門に向かう。

 

 


▲右側の塀が下田歌子の勉学所です。       ▲これを上に登ると藤坂です。

続きの「一の門」以降は、後日別のブログで書きます。

 

それぞれの地形を利用して分けたもので本丸を中心として、それを守るために各々の分野を分担しているのである。

 

 

十一筒の櫓は、そのいずれの曲輪にも要所々々に配置され、その傍には多門※2があって武士や兵器を置き敵の襲来に対処している

 

 

また、曲輪毎に城門が一個乃至二筒あり、その傍には番所があって厳重に出入りを監視している

 

 

なお、これ等を高塀を以って縫い巡らし総長八百六十間に亘っている
これらは何れも厚い壁があり、矢狭間、鉄砲狭間があって敵を射撃するようになっている

 

 

こうした施設のある城郭の大きさは周囲七百間(十一町三十

間)で城山の頂上を包んで複雑な地形を利用して、四方を

眼下している籠城に最も重要な井戸水は殆どの頂上まで湧

出している、岩村城の本丸である

 

 

途上中に名泉「霧ヶ井」を始めとして各所にいくつも清泉をたたえている

         ▲これが岩村城を別名「霧ヶ城」という名にいう井戸です。

 

※1(やぐら)とは、城郭内に防御や物見のために建てられた仮説または常設の建設物である。日本では石垣や土塁の上に木造の建築を建てて、攻め手への攻撃と防御を有利に働かせた。多くの例は、通常の窓の他に攻撃用の小規模な開口を複数箇所設けてある。

城郭内に防御や物見のために建てられた仮設または常設の建築物である。

 

※2多門とは、城の石垣の上に築いた長屋造りの建物。兵器こと坊壁兼ねる。

 

 

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岩村城藩主邸。松平家で廃藩置県まで松平乗命が最後の城主。

 藩主邸(御殿)は城麓の高台で城下町を一望の下に見下される景勝の地であります。

▲これが藩主邸の配置図です。

 

今は恵那市と合併したから市の管轄であり、その庭山は城山公園となっています。


※これは藩主邸図に色を付けたものです。    ▲太鼓櫓(平成元年〜平成2年に復元)

▲藩主邸全景:表御門は北に面し門の西に太鼓櫓があり、時刻を知らせる太鼓の響をは町内響き渡ったという、門の東は門長屋その東の別棟は物見、藩主はここで祭見物をした。

 


▲藩主邸                                             ▲いわむら観光マップのリーフレット

 

いま現在は資料館、佐藤一斎の銅像、藩校・知新館※3、などがあり、また、少し城山方面に登って行く途中に下田歌子の勉学所があります。

 

※3知新館とは、岩村藩校知新館の正面、知新館は元禄15年(1702年)松平乗紀(のりただ)によって創立された。
全国的に見ても最も古く、十指に入り創立当時の岩村藩は2万石(後に3万石)の小藩でありながら、文教政策に重点をおき有能な藩士の教育を図った。

 

江戸時代の儒学者林 述斎・佐藤一斎を岩村藩から出したことは、知新館という藩学の土壌が培われていたからです。

正面に向かって左側に孔子を祀った部屋があり、いまも毎年四月に孔子祭が行われる。知新は論語の「温故知新」から採った。

 

 

      


▲岩村城想像復元3DCGがあります。

 

 

この藩主邸は江戸時代初期「松平氏」によって創設されたもので徳川三百年の泰平は、城山に立て籠もる必要性がなかったので藩主は殆どこの邸宅にあって、これを中心に城下町の経管にあたったので、この藩邸が常時の城でもあった。

 

 

したがってここに厳重な防備を施し、番所を置き出入りを監視のみならず、内部の構造にも意を注ぎ地下室、地下道も作られ非常に備えたという。

 

 

ここにあった建物は、藩主邸平面図および見取り図によって示されているが、なお、ここに建物一覧を示します。

【岩村藩主邸建物一覧】

表御門‥三間×四間
門長屋‥三間×四間半
太鼓櫓‥三間×五間
土 蔵‥二間×二間
御部屋‥東西23間×南北36間
御物見‥二間四尺×六間
御内家‥七間×十七間
御茶屋‥二間×二間半
東 屋‥二間×二間
奥平屋門‥一間半×一間半
平屋門‥‥  〃            〃
奥土蔵‥三間×六間
奥長屋‥三間×五間
番 屋‥三間×十間
長 屋‥三間半×八間
御 蔵‥三間×十間
紙 蔵‥三間×四間半
 〃 ‥二間二尺×十間
坂下番所‥一間半×二間
下蔵間‥二間半×三間
長 屋‥二間半×七間
門東長屋‥三間×五間
北土蔵‥三間×九間
南土蔵‥三間×八間

 

 

ここにあった太鼓櫓の太鼓は時を知らせ、非常を知らせ城下町の人々の親しみのものであった。

 

 

写真の太鼓櫓は、時の総理大臣の「竹下登」のふるさと創生金で、平成元年〜平成2年にかけて復元建立した。

 

 

しかるに、この藩主邸は廃藩置県と共に不要となり、明治十四年の失火で悉(ことごとく)く焼失してしまった。と記載されています。

 

 

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-大給松平家, 岩村城

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