美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2022年3月6日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
加藤景廉の末裔の金さんと岩村城主3代の孫・鳥居耀蔵の共通点は岩村城!
岩村城は、そんなに有名人を出してる? 全国的にみると凄い! あの桜吹雪が有名な遠山の金さんと鳥居耀蔵 名奉行と言われる遠山の金さんと妖怪といわれる鳥居耀蔵は岩村城と関係があったのです。 …
天狗党の総大将武田耕雲斎・藤田小四郎らが尾張藩大井宿に現る
天狗党の大まかな集団を作って尊王攘夷を孝明天皇に直訴しようと京に向かった。 途中、中山道を天狗党が通過したことについては、岩村藩との接点は余りないように思われていましたが、恵那市大 …
徳川家康の家系図をみると正室・側室たちによる子孫繁栄を願っていた
日本史上最も長く続いた幕府を築いた徳川家。 その源流は、初代将軍・徳川家康から始まります。 家康は、天下統一を果たした豊臣秀吉に仕えながら、自らの勢力を拡大し関ヶ原の戦いで …
両雄・武田信玄×上杉謙信の5回に渡る川中島の戦い勝敗はどうだったか?
この川中島の戦いは武田信玄と上杉謙信の間で行われ第1次〜第5次の12年間続いた合戦です。。 皆さんも漠然と武田信玄と上杉謙信の名前で戦ったと思っていることでしょう、それが …
家臣団に嫌われるも徳川家康と本多正信との関係は良好だったは何故か?
本多正信は通称を弥八郎と呼ばれていた。 正信の父は本多俊正で、もともと松平家の重臣・酒井忠尚の下で働いていた、忠尚が謀反を起こしたために、共に家康と戦うこともあったが、永禄7年(1564年)9月に俊 …
2025/03/10
家康が名刀 童子切安綱を次男・義伊松に餞別に渡したとされるが行方は?
2025/03/07
【悲運】家康の次男・結城秀康が将軍になれなかった背景
2025/03/01
先代5藩主たちの浪費が招いた財政難を若き上杉鷹山たちが改革
2025/02/22
上杉鷹山の財政改革を現代日本の政治家たち是非学ぶべき教訓
2025/02/15
恵那市岩村町の岩村醸造の女城主の蔵開【2025年2月22・23、3月1日・2日】
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村