美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

日本三大山城の一つ岩村城の始まりは加藤景廉、遠山氏以降の城主と登ってみたい本丸まで。

岩村城へ登には、岩村町の東側にある山を目指して行けば行けます。 入り口には資料館と佐藤一齋の銅像、その上に行くと下田歌子・三好学の銅像があります。   藤坂から本丸までの道案内。 &nbsp …

岩村遠山氏を軸に十八支城の一つ苗木城の創築者と城主は

遠山氏になってのは、初代・遠山景朝に始まった。 景朝の父・加藤景廉が岩村を統治する前に、この岩村の地に来て、現・岩村町山上の邑長の山上元岩村町長の先祖に頼まれて山賊・野武士を退治したという伝説がありま …

紫式部の朝廷に出仕した時期はー『源氏物語』は藤原道長のおかげで完成

   紫式部の事をもっと知りたい、いままでは、紫式部の結婚相手は歳の差婚の藤原宣孝とした事を伝えて来ました。     藤原宣孝なる輩はどういう人物かというと、平安時代中期の貴族で、 …

貧乏小大名家康から総資産日本一の遺産・資産家になった徳川家康

 徳川家康は、日本史上最大の資産家、ではどのようにして大金持ちになったか?     関ヶ原の戦いや大阪の陣で勝利した後に、全国の主要な金山・銀山を直轄地にしたこと。 例えば、かの有 …

平家を滅亡させた源頼朝が鎌倉幕府を開いた理由は?武家政権と統治機構

「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を知っている方は多いと思いますが、この言葉を発したのが平清盛か平時忠(姉は清盛の継室※1、しかも妹が後白河上皇妃ということで、結構な発言力を持ち、出世もどんどん …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。