美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2022年10月17日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
源頼朝に恵那郡遠山荘に地頭を補せられ加藤景廉が岩村に城を築いた
我が岩村町の八幡神社に祀られてる加藤景廉と、武並神社に嫡男・遠山景朝が祀られている故郷には、10月第一土・日に武並神社から八幡神社に親子対面に行く一泊2泊の行列が催じられる。 &nbs …
鎌倉幕府を滅亡させた足利尊氏と後醍醐天皇の新政を巡って南北朝が始まる
鎌倉幕府がなぜ倒れたか? 原因はなんだったのか?、ある高校教科書に載っていたのは三つの原因があげられていました。 ①蒙古襲来で、御家人たちは多大な犠牲を払って奮闘した …
源頼朝より加藤景廉が山木兼隆を討ち恩賞で東美濃の遠山荘を貰う
東美濃国・遠山荘ってどこにあるんだろうか? 住所は岐阜県恵那郡岩村町(旧)今は恵那市です。 岩村城を築城する前は、山上邑に無頼の輩・野武士・盗賊が多く出ては邑人を困らせていました。 & …
家康はなぜ浜松城に移ったのか?ーその後の浜松城主たちの出世は
家康は「桶狭間の戦い」は、人質生活から解放されるキッカケとなったが、苦難の道が待ち構えていた。 大高城を離れて大樹寺、岡崎城に戻り、そして今川氏と決別した。 永禄11年( …
大阪夏の陣に参戦した浪人五人衆の武将とその他の武将の名前と指揮した大野治長
後藤又兵衛は黒田官兵衛を支えるも、息子・黒田長政に疎まれた名将です。 その話は別の機会にしますが、まずは、大阪夏の陣に参戦した浪人五人衆とは、後藤又兵衛・長宗我部盛親・毛 …
2024/07/27
南北朝期に足利尊氏が開いた室町幕府だが守護大名の統制に四苦八苦
2024/07/19
鎌倉幕府の滅亡と南北朝そして室町幕府の始まり
2024/06/22
伊達騒動の真相は3代城主・伊達綱宗の放蕩から4代城主・伊達綱村の隠居で終わる
2024/06/15
黒田騒動のお家騒動は家老・栗山大膳や重臣等が幕府に訴えた事件
2024/05/28
前田利家の金沢城加賀騒動をわかりやすく説明
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村