美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

清少納言は中宮・定子に仕えたー紫式部は中宮・彰子に仕えた二人の関係図

 清少納言は、藤原道隆の娘・定子に正暦四年(993年)前後に仕えて長保3年(1001年)頃宮廷を去っています。     一方、紫式部は藤原道隆の弟・藤原道長の娘・彰子に寛弘2年(1 …

父・信虎を追放して武田晴信の領土拡大は120万石となって各地に城を築く

戦国武将の武田信玄の領地は、甲斐国を中心に信濃国・駿河国・上野国・飛騨国・美濃国・三河国・遠江国の一部など、9ヶ国に及びました。     最盛期には120万石の領土を有し、武田信玄 …

徳川家康は信玄と密約を結んで掛川城を攻めて無血開城しかし武田と敵対

 応永12年(1405年)以降、遠江守護職は約一世紀にわたり斯波氏が受け継いいた。 ※斯波氏とは、武家・華族だった日本の氏族。斯波氏家は室町幕府将軍足利一門で細川氏・畠山氏と交替で管領に任じられる有力 …

武田・徳川の戦いは熾烈な攻防線を繰り広げ2度の『高天神城の戦い』

 高天神城は現・静岡県掛川市から南へ連なる山地に山城が存在していました。     『高天神城を制する者は遠州を制する』といわれたほど重要な城で、武田氏と徳川氏の争奪戦となった舞台で …

北条時政・義時親子の執権政治はいつ頃から野望を持ったか

   初代・鎌倉幕府の将軍・源頼朝が亡くなった後、御家人の中で権力に執着を持ったのが北条時政。   この北条時政と源頼朝の繋がりといえば、まだ、鎌倉幕府ができる前の話、過去にさかのぼり説明し …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。