美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

江戸という地名の由来はいつ頃から使われていたか?

 江戸という地名は、いつ頃からあっていつ頃から使われていたのか? 「江戸」ってとてもいい名だと思います。     江戸へ行くとか、江戸幕府とか、江戸時代とか、◯◯町の江戸町とかいろ …

天空の山城・岩村城の魅力!石垣と歴史が語る日本三大山城を訪ねて

 岩村城が、なぜ「日本三大山城」に選ばれたのか? それは標高717mに築かれた山城だからです。   日本三大山城の条件として、株式会社 新人物往来社※1「日本城郭大系」※2の中に記述があり、 …

岩村城の藩主邸は家康の天下泰平の願いを込めて造られた

 岩村藩になったのは徳川時代からです。 岩村藩は徳川家康の親戚の大給松平の六代目が初代の岩村藩主の殿様・松平家乗がなりました。 ※ここに松平家乗の父母の記事があります。興味ある方は上記の松平家乗をクリ …

「信長の年下の叔母・おつやの方と岩村城の悲劇」信玄の西上作戦に翻弄された女城主

 岩村城の遠山景任と結婚した、一説によると景任24歳、おつやの方は信長の祖父・信定の子で信長の父・信秀と兄妹の関係ですが信長より年下です、 父は織田弾正忠信定。     信定は戦国 …

三方ヶ原の戦いはなぜ起きたか?同盟同士の信玄と家康が共に不信を抱いた

 甲斐国の武田信玄と駿河の国の今川氏と同盟を結んでいたが、父・義元の死によって遠江の国衆たちが今川に叛き混乱状態となった。     このことにより、信玄が今川領に対する野心が生まれ …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。