美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

家康の「家」を与えられた若きプリンス大給松平家の初代岩村藩主・松平家乗

徳川家では初代である「家康」の「家」の字は将軍職を継いで行く者につけた。   徳川宗家(将軍家)の後継者のみ許された「家」の字です。 後継者でも「家」の字を使ってない徳川将軍がいます。 それ …

岩村城は加藤景廉の嫡男・遠山景朝が築き遠山十八支城になる

   岩村城は誰が築いたか? 地の利もよく東へ行けば信州、南へ行けば三河、西へ行けば尾張と交通の要でした。 ▲岩村遠山氏を中心に信州・尾張・三河を分かりやすくしました。   岩村遠山氏は戦国 …

徳川家康は江戸のまちづくりは水運・風水・鬼門を考えて江戸幕府を開いた

 安土桃山時代の慶長5年(1600年)9月15日に、関ヶ原の戦いに勝った家康は慶長8年(1603年)に朝廷より征夷大将軍に任じられた。     ここで一つ確認をしてほしいことがあり …

岩村城下町は寺院多いが二代藩主・丹羽氏定が建立した七面山・妙法寺

  岩村城は敵が攻めて来た時、霧ヶ井戸に城内秘蔵の蛇骨を投じるとたちまち山全体が霧に包まれて城を守ったという。 蛇骨は二の丸の宝蔵に収蔵されており虫干しをした記録が残されている。 そのため別名・霧ヶ城 …

家康は徳川家の未来を優先して正室・筑山殿と嫡男・信康を犠牲にした苦悩

 ときは天正7年(1579年)の夏、遠州三河で思いもよらない衝撃な事件が起きてしまった。     どういう事件かというと家康の正室・筑山殿と嫡男・信康の死という事件です。 &nbs …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。