美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

日本三大山城と日本名城100選に選ばれ美濃岩村城・備中松山城・大和高取城

 日本三大山城とは、何を根拠に日本三大山城というのか?疑問に思ったので調べました。   三大山城の条件 新人物往来社出版の「日本城郭体系」の中に記述があり、「美濃岩村城」「備中松山城」「大和 …

なぜ家康は孫娘の夫・秀頼を二条城へ呼び出して会見を挑んだか?

   慶長16年(1611年)に、後陽成天皇の譲位と政仁親王(後の後水尾天皇となる、のちに秀忠の娘・和子と結婚)に即位の儀式が4月12日に執り行われる予定でした。     家康はこ …

大給松平宗家は「十四松平」の一つ徳川家康は東美濃岩村藩を置いた

 武家の家が発展するには、分家が欠かせない、例えば、室町幕府を開いた足利尊氏は、清和源氏の流れを汲み、足利(現・足利市)に地名の足利の姓で本拠を置いた。     でも、松平氏の場合 …

一条天皇の后の定子・彰子が中心となった後宮サロンとは

   サロン「Salon」はフランス語で、貴族階級の社交場を意味します。 身分の高い貴族が宮廷や私邸などの一室に、学者や詩人など知的で教養豊かな人達を集めて、文学や芸術などの高尚な会話を楽しむ場所を提 …

実業家となった渋沢栄一の家系図と子孫達の活躍

 明治になって日本を代表する実業家となった渋沢栄一は、最初の妻・尾高千代がコレラに罹って亡くなったのが明治15年(1882年)、後妻は伊藤兼子で明治16年(1883年)で、二人の間に七人の子に恵まれ多 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。