美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

村川竹之助

豊臣秀長の妻・慶と密会した“謎の青年”村川竹之助とは?戦国秘話の真相に迫る

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豊臣秀吉の弟・木下小一郎(秀長)が、大河ドラマ『豊臣兄弟』では、信長の命により、美濃国の斉藤家の家臣だった安藤守就の娘と結婚します。

これも史実かどうかも分かりませんが、何となく安藤守就に何番目かの女子の子供がいた事は事実です。

これが事実なら竹中半兵衛とは、婿兄弟です。

安藤守就の一人目の娘は、竹中半兵衛になっていて、もう一人の娘は、美濃国の国人で郡上郡八幡城主。美濃八幡初代城主・遠藤慶隆。三上藩遠藤家初代の妻になっています。

豊臣秀長には「慈雲院」と呼ばれるがいた事は事実です。
果たして(ちか)が慈雲院なのかどうかも事実がないから分かりません。

慈雲院は豊臣秀長の正妻と考えられる女人だが、出自がはっきりしないし実名についても不明です。

天正19年(1591年)5月7日、高野山奥之院の豊臣家墓所に逆修造立※1された石塔の刻銘のは「大納言殿北方」(秀長の正妻)として「慈雲院芳室紹慶」とある。

※1
.逆修造立(ぎゃくしゅぞうりゅう)とは、生前に自分の死後の冥福を祈って、石塔や仏像などを造立(建立)する仏教の供養行為です。 

意味は、逆修は「生前に修する」という意味です。

本来は死後に行われる供養を、生きているうちにあらかじめ自分で行うことで、より大きな功徳が得られると考えられています。

豊臣秀長自身は、天正19年1月22日(1591年2月15日)に郡山城内で病死してます。

石碑みると「〜〜〜〜〜〜慶」と最後についているということは、(ちか)に関係してると想像します。


豊臣秀吉の弟として秀吉を補佐していたことで知られる豊臣秀長は、温厚で理知的な名将として知られています。

 

 

しかし、その秀長の周辺には、あまり語られることのない奥向きの秘話が残されています。

 

 

大河ドラマ『豊臣兄弟』で、秀長の妻・慶(ちか)と密会していたとされる若者――村川竹之助とはどういう人物か?。
前夫が戦で信長に殺されたといえど小一郎と結婚した以上は、密会とは只事ではない。      ▲慶(イメージ)

 

「竹」の字から、軍師・竹中重治(半兵衛)との関係を想像する声もありますが、果たしてどのような人物だったのでしょうか。

 

 

戦国時代、大名の正室との密会は命取りになりかねない重大事件です。

 

 

この記事では、村川竹之助の人物像と、豊臣家に伝わる密会伝説の真相に迫ります。

 

 

 

村川竹之助の正体

村川竹之助は何者?。

豊臣秀吉の弟である豊臣秀長の妻・慶(ちか)と密会している人物、一部の逸話や創作で語られる存在です。

 

 

ただし、史料に明確な記録が残る有名武将ではなく、実在性や詳細な経歴には不明点が多く、歴史小説や地域伝承の色合いが強い人物でもあります。

 

 

 

架空の人物・村川竹之助にモデルがあったのか?

村川竹之助は実在の人物ではなく、司馬遼太郎の小説『豊臣家の人々』に登場する創作上の人物です。

 

 

歴史書、過去の系図、日記、裁判記録(軍忠状など)といった、当時の信頼できる一次史料に「村川竹之助」という人物の名前は存在しません。

 

 

戦国時代から安土桃山時代を研究しても、そのような人物は確認できません。

小説のための創作(「創作上の人物」)

司馬遼太郎が『豊臣家の人々』という歴史小説を執筆する際、物語の展開や、豊臣家の人々の心理、当時の世相を魅力的に描写するために、意図的に作り出した登場人物です。

 

 

何のために作られたのか

歴史小説は史実をベースにしますが、登場人物の感情や会話は作者の想像で補われます。

 

 

村川竹之助は、特定の立場から豊臣家の崩壊を見つめる視点を提供したり、物語の筋を通すための「キャラクター」として配置されました。

 

 

村川竹之助=司馬遼太郎の物語の登場人物。

司馬遼太郎の『豊臣家の人々』=史実を題材にしつつ、フィクション(創作)が含まれる小説。

 

 

したがって、歴史の試験で「豊臣家の重要人物」として記述すると誤りになりますが、物語を楽しむ上では重要な役割を果たす人物です。

 

 

正体は秀吉の妻・寧々の家族

姉の長慶院※2(三折全友室)の夫がモデルで描かれたか?

※2.長慶院(ちょうけいいん)とは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけの女性、寧々の姉。

父は杉原定利、母は朝日姫。兄には木下家定、妹に寧々とやや(長生院、浅野長政室)がいます。
医者の三折全友に嫁いだ。

 

 

秀吉の妻・寧々は杉原定利の次女として生まれ、その後、叔母の嫁ぎ先である浅野長勝の養女となっています。

 

 

寧々は杉原定利の次女として生まれ、その後、叔母の嫁ぎ先である浅野長勝の養女となっています。

 

 

このため、実家と養家の両方に家族関係が存在します。

姉・長慶院の夫・三折全友で医者が、モデルとして村川竹之助として描かれているんじゃないかなぁ〜

 

 

 

村川竹之助の正体 有力説

ここに説を載せました。 あなたならどの説を連想しますか?

1.寧々の実家の親族 説

村川竹之助は単なる密会相手ではなく、幕府の意向を背負って動く重要人物である可能性が高いです。

 

 

しかし寧々と寧々の父の浅野長勝は町でこの村川竹之助を見かけたとき、寧々は「男漁りの相手」と思っているようです。

 

 

家族としても認識はなし。

寧々の家族ということは兄弟なのか?

寧々は杉原定利の次女として生まれ後に叔母の嫁ぎ先である浅野長勝の養女となったようで、実の姉の長慶院 (三折全友室)の夫(義兄)は医者であるため、慶の肩にある大きな刀傷(約15センチ)という描写から、医療目的での接触という可能性も高いです。

 

 

この場合、密会は極めて現実的な理由を持つ慶(ちか)の傷の治療のため密会=逢瀬ではなく「治療行為」をしている行動じゃないか。

 

 

慶(ちか)の傷の治療のため密会=逢瀬ではなく「治療行為」をしているんじゃないか。

 

 

 

2.義理の兄弟(浅野家の縁者)説

寧々の義理の兄弟である可能性も考えられます。

木下家と浅野家を繋ぐ内部の人間として動いている。

 

3.足利義昭の近習(幕府側のスパイ)説

村川竹之助が密偵であると考えられる最大の理由は、足利義昭の動きと完全に一致している点です。

 

 

大河ドラマでは、足利義昭が明智光秀に対して、小一郎や藤吉郎を取り込もうとする発言をしており、織田勢力の内部に関心を持っていることが描かれています。

 

 

この流れから考えると、安藤守就を通じてその娘・慶を小一郎に嫁がせ、内部情報を得るという構図は極めて合理的です。

 

 

そして、その情報の受け渡し役として動いているのが、村川竹之助である可能性が高いといえます。

 

 

つまり、慶(ちか)と村川竹之助の関係は個人的なものではなく、「幕府による情報収集ネットワーク」の一部である可能性が浮かび上がります。

 

 

慶(ちか)と村川竹之助の関係は、「任務上の接触」であると考えるのが自然です。

 

 

密会の場所が寺であり、人目を避けた行動を取っている点も、その裏付けとなります。

 

 

また、慶(ちか)自身も織田信長に対して強い感情を抱いている様子が描かれており、義昭と利害が一致している可能性があります。

 

 

同じ目的を持つ者同士が繋がっていると考えれば、この密会の意味はより明確になります。

 

 

4.竹中半兵衛の密偵 説

名前に「竹」が含まれることから竹中半兵衛との関連を指摘する声もあります。

 

 

やや連想的ではありますが、戦国ドラマではこうした伏線的な命名も存在するため完全には否定できません。

 

 

 

5.村川竹之助の正体は杉谷善住坊か? 説

旅姿の男・村川竹之助は、深編笠で顔を隠し、機動力重視の装束と打刀を帯びた実戦型の人物として描かれています。

 

 

この特徴は、単なる商人や家人ではなく「任務を帯びた戦闘者」であることを示しています。

 

 

そこで浮上するのが、織田信長を狙撃したことで知られる杉谷善住坊説です。

 

 

鉄砲の名手でありながら詳細な素性が不明という点も、ドラマの“正体を隠した男”という描写と一致します。

 

 

 

杉谷善住坊とは何者か

杉谷善住坊は戦国時代の鉄砲使いで、出自については複数の説があり、甲賀忍者、伊勢の城主、雑賀衆、根来衆、あるいは猟師など諸説あり、確定した人物像は存在していません。

 

 

元亀元年(1570年)、越前攻めの帰路にあった織田信長を、近江国の千草越えで狙撃したことで歴史に名を残します。

 

 

約20メートルの距離から2発発砲したとされますが、信長は軽傷で生き延びました。

 

 

この事件は当時としては極めて異例であり、「戦場外での暗殺未遂」という点で、戦国史においても特異な出来事といえます。

 

 

その後、善住坊は逃亡しますが、徹底的な捜索の末に捕縛され、そして織田信長の命により、極めて残酷な処刑が行われました。

 

 

首から下を土に埋め、生きたまま竹の鋸で首を切断する「鋸挽きの刑」です。

 

 

この処刑は見せしめとしての意味も強く、信長の執念深さを象徴する事件として知られています。

 

 

『フロイス日本史』にも、同様の処刑が記録されており、当時の衝撃の大きさがうかがえます。

 

 

 

慶と善住坊が繋がる理由

ドラマ内で慶(ちか)は織田家に対して強い憎しみを抱いている様子が描かれています。

 

 

元夫の死や父・安藤守就の寝返りが原因で、信長側に対して複雑な感情を持っているのは明らかです。

 

 

さらに「男に金を渡して密会している」という噂も流れており、これが単なる逢瀬ではなく「暗殺依頼」である可能性が浮上します。

 

 

つまり、慶(ちか)が善住坊のような鉄砲の名手に対して、信長暗殺を依頼していたという構図です。

 

 

もしこれが事実であれば、村川竹之助=善住坊という線は一気に現実味を帯びます。

 

 

 

慶と村川竹之助の上下関係

劇中の動きで注目すべきは、村川竹之助が慶(ちか)の後ろを歩いている点です。

 

 

この配置から、立場としては慶の方が上である可能性が読み取れます。

 

 

つまり、村川竹之助は指示を受けて動く側であり、慶(ちか)が何らかの役割を持つ中心人物である可能性も浮上します。
この構図は「慶=情報の中核」「村川竹之助=実行役」という関係にも見えます。

 

 

果たして村川竹之助は味方なのか、それとも裏で動く危険な存在なのか——そして慶との本当の関係とは何なのか。

 

 

架空物語

竹之助は秀長家中に仕えた若い近習、あるいは美男子の家臣として描かれることが多く、慶との関係が噂されたことで悲劇的な結末を迎えたとされます。

 

 

戦国時代の大名家では、正室の不義密通は家の名誉や政略に直結する重大事件でした。

 

 

特に、豊臣政権の中核を担った秀長の家でそうした疑惑が浮上すれば、単なる男女関係では済まされません。

 

 

そのため竹之助は、密会発覚後に処断された、あるいは密かに消されたという話があります。

 

 

ただ、この種の逸話は江戸時代以降に脚色されることが多く、「豊臣家の奥向きの悲恋」として物語化された可能性も高いです。

 

 

実際には、慶そのものについても史料が少なく、夫婦関係や側近たちの動向には空白が多いため、後世の想像が入り込みやすい部分でもあります。

 

 

むしろ興味深いのは、この逸話が「人格者」として知られる秀長像と対照的に語られる点です。

 

 

温厚で調整役だったとされる秀長の家庭内に、もし本当にこうした事件があったなら、豊臣一族の内面にも人間的な葛藤や愛憎が存在したことになります。

 

 

そのため村川竹之助は、歴史の表舞台に立った武将ではないものの、「豊臣家の秘話」を象徴する存在として語り継がれている人物だと言えるでしょう。

 

 

-村川竹之助

執筆者:

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。