美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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岩村城の最前線だった飯場間城の遠山氏が苗木へ入城 Part1

遠山氏とは、源頼朝の重臣・加藤景廉(藤原利仁の子孫)が功績を残し、文治から建久(1185年〜1198年)の頃に遠山荘(現・恵那市・中津川市・瑞浪市の一部)を与えられたのが始まりで嫡男の景朝が築城する。 …

源頼朝の最初の妻・八重姫と嫡男・千鶴丸はどうなったか?

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徳川家康は何故高低差のある地形を利用して名古屋城を築いたのか

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源氏累代の御家人・加藤景廉が初戦で山木兼隆を討ち武功を挙げる

   我が故郷の岩村城の祖である、加藤景廉は源頼朝の挙兵以来の御家人として活躍、頼朝から遡(さかのぼる)ること5代前の河内源氏の棟梁・源朝義②に祖父・藤原景道が仕えて以来の累代の家来の家系でもあります …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。