美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

臨済宗妙心寺高層和尚・希庵和尚を襲撃した祟りで武田信玄の天下取りは幻に終わった

武田信玄があの時死ななかったら、天下を取っていただろうか?と記者は自問自答した。   嫌がる希庵和尚を無理やり自分の菩提寺の僧侶にしようと思ったことが運の尽き、希庵は頑として断ったため信玄は …

先祖が乞食坊主の徳阿弥だったのに家康はなぜ征夷大将軍になれたのか?

   司馬遼太郎の「歴史の中の邂逅」に「上州徳川郷」という話があります。     つまり徳川の祖は大久保彦左衛門の書「三河物語」に書かれたように「中有ノ衆生ノゴトク」全国を歩いてい …

渋沢栄一と徳川慶喜の出会いは?ー慶喜の弟・昭武にパリ万国博覧会に同行

西暦2021年−幕末1867年=いまから154年前にフランス・パリで万博が催された。 万博に出席した日本人は、腰に刀を差していた時代です。     江戸時代末期、天保11年2月13 …

岩村町の三森山は信仰の山、救いを求めた大圓寺・富田地区の住民たち、恵那山と天照大神。

三森山は町民の信仰の山、岩村城と並んで立っている。   その岩村町三森神社の由来と恵那山の由来。   三森神社のことを地元(現・岩村町富田)の人は、”三森さん“;とこんなふうに呼ん …

明智光秀は本能寺には行ってなかった事実判明 ー 誰が実行犯か?

本当に明智光秀は”敵は本能寺“と言って信長のいる本能寺に攻めて行ったのか? 光秀は本当に信長を恨んでいたか?     自分が天下を取りたくて織田信長に謀反を起こしたというのが定説に …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。