「 投稿者アーカイブ:rikutarou 」 一覧
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中山道34番の宿場町・奈良井宿は昔の面影を残した木曽11宿にも入っています
2024/03/16 -奈良井宿
奈良井宿は、どんな宿場町だったか興味ありませんか? 江戸時代日本橋から京都の三条大橋をつなぐ中山道「奈良井宿」は、中山道六十九次の行程で丁度真ん中にあたる三十四番目の宿場町です。 …
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紫式部日記が書いた中宮・彰子の長男・親王誕生をわかりやすく解説
2024/03/09 --紫式部日記
日本の古典中で有名なのは、紫式部が書いた『源氏物語』です。 その『源氏物語』は3部構成になっており、中宮・彰子への出仕前に執筆が開始されていきます。 以降、段階を経て第二部、第三部と続いていきま …
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紫式部の朝廷に出仕した時期はー『源氏物語』は藤原道長のおかげで完成
2024/03/03 -初 出仕
紫式部の事をもっと知りたい、いままでは、紫式部の結婚相手は歳の差婚の藤原宣孝とした事を伝えて来ました。 藤原宣孝なる輩はどういう人物かというと、平安時代中期の貴族で、 …
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家康の遺産は久能山に埋蔵金として「久能山御蔵金銀受取帳」に記されいる
2024/02/28 -埋蔵金
徳川家康は天文11年(1542年)岡在城にて、松平広忠と母・於大の方の間に誕生、慶長10年(1606年)将軍職を3男・秀忠に譲り駿府城に戻り、大御所として65歳〜74歳まで権力を振るったが、74 …
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2024/02/20 -松平の始祖
読者の皆さんこんにちは、徳川家康のルーツは松平氏だといってます。 松平氏という苗字に疑問を抱いた事ないですか?なんで松平がルーツだといえますか。 どうしてかというと、 …
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2024/02/17 -源氏物語の執筆
みなさん、こんにちは源氏物語は紫式部がいつ頃執筆し始めたか? 興味ありませんか? 源氏物語は、作者・紫式部の、夫・藤原宣孝が、長保3年(1001年)に当時都で流行って …
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藤原宣孝と紫式部の歳の差婚:親子ほどの年の差は幸運だったのか
2024/01/28 -紫式部(源氏物語)
藤原宣孝は、親戚筋の官僚で父の同僚だけど幾度となく紫式部に求婚の手紙を書いていたらしいが、その度に拒否の歌を返している。 宣孝は紫式部より20歳ほども上で、何人もの女性と結 …
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後宮に仕える女房・女官は身分は違えど七殿五舎に帝と妃と共に暮らす
2024/01/23 -女房・女官
紫式部、和泉式部や清少納言は、女房(にょうぼう)と呼ばれる職業でした。 この三人は夫と死別や離婚で独身だったので、出仕中はだれかの奥さんだったわけではありません。 &nb …
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紫式部と彰子の出会いは父・道長によって実現したーそれぞれの3人の関係は
2024/01/21 -彰子との出会い
第56代・一条天皇の后になった藤原定子は、貞元2年(977年)にそして正暦元年(990年)14歳で入内して中宮になったが、父の死と兄の流罪で後ろ盾が亡くなり出家するも一条天皇が呼び戻して定子を寵 …
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定子の運命を変えた兄・伊周の“長徳の変”で流罪と叔父・藤原道長との関係
2024/01/14 -伊周の長徳の変
定子が一条天皇の中宮になったのが14歳、定子と一条天皇は従姉弟同士、後から中宮になった彰子も同じ従兄妹同士でした。 定子には、父・藤原道隆と祖父・藤原兼家の後ろ盾があった …