美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2018年3月17日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
臨済宗妙心寺高層和尚・希庵和尚を襲撃した祟りで武田信玄の天下取りは幻に終わった
武田信玄があの時死ななかったら、天下を取っていただろうか?と記者は自問自答した。 嫌がる希庵和尚を無理やり自分の菩提寺の僧侶にしようと思ったことが運の尽き、希庵は頑として断ったため信玄は …
源頼朝はなぜ鎌倉に留まって鎌倉幕府を開いたか?
源頼朝は日本社会で初めて武士社会の権力を確立した武士団の頭領ということは、みなさん知っての通りです。 宿敵の平家を完膚(かんぷ)なきまでに破り、完全に権力を握った頼朝は、征夷大将軍 …
東美濃岩村城の誕生以前の岩村町の起源(其の一)
東濃地方特に岩村町近辺には、古く三万年前には人が住んでいた形跡が石器物の発見によって証明されたという“歴史掘りおこし読本”第2巻に書いてあった。 ※ここに3万年前に発見されときに記事があります。 …
家康が天下取れたのは重鎮な家臣・徳川四天王たちの働きがあった
戦国最後の勝利者となった徳川家康ですが、ここに至るまでの苦難の道を乗り越えて天下人になった、そんな家康を一枚岩になって支えてきたのが徳川家臣団です。 とりわけ徳川四天王と …
家康は上杉征伐の途中小山評定で各大名に東軍か西軍どちらに着くかを確かめた
徳川家康は7月24日、上杉景勝を討伐するために会津に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置いた。 その時、石田三成挙兵の報せが入り、翌25日、急遽 家康は本陣に諸将を …
2024/04/27
紫式部と藤原道長の出会いは架空の恋か歴史の真実の恋か
2024/04/20
藤原為時が道長に越前国府に任命され同行紫式部は一足早く京へ戻った理由
2024/04/06
須磨から光源氏は明石へ!明石の君との 出会いと別れ
2024/03/31
『源氏物語』光源氏は政敵の妹・朧月夜と関係を持ってなぜ須磨の地へ
2024/03/28
紫式部『源氏物語』若き光源氏を襲う波乱の設定の凄さの相関図No2
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村