美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2018年5月1日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
「豊臣秀長:兄・秀吉を陰で支えた天下統一の立役者」
兄・秀吉と二人三脚で天下統一に貢献した豊臣秀長。 豊臣秀長は、名古屋市中村区で生まれ、通説では幼名を小竹(こちく)という渾名でした(確認できる文章はないですが)。 『太閤 …
江戸時代の三大お家騒動は加賀騒動・黒田騒動・伊達騒動と他のお家騒動19件
江戸時代の大名家では、藩主やその一族、家老などの一団の領袖となりうる立場の人間が派閥を作りあげて内紛を繰り広げた例が数多くあります。 そのような事象が脚色されて、歌舞伎・狂 …
岩村城の遺構がある旧家勝川家の略譜と隣にある浅見家の偉大な与一右衛門
岩村町を散策したいと城下町を岩村駅から登っていくと、途中に“巌邑天満宮”があり、さらに“かんから屋”を左手に通り過ぎると、枡形地形の通りに出ます。 さらに登っていくと …
岩邑に極楽寺があったが廃寺!幸せを呼ぶ明知線「極楽」駅に観光客が殺到
極楽寺跡から遺跡でるわ、出るわ。広大な敷地跡から出土品が出た。 極楽寺と言う名の寺は全国に370を超す〔全国寺院大艦〕。 ネットで見ると最初に出てくるのが、名古屋市大須の「極楽寺」です。   …
家臣団に嫌われるも徳川家康と本多正信との関係は良好だったは何故か?
本多正信は通称を弥八郎と呼ばれていた。 正信の父は本多俊正で、もともと松平家の重臣・酒井忠尚の下で働いていた、忠尚が謀反を起こしたために、共に家康と戦うこともあったが、永禄7年(1564年)9月に俊 …
2026/09/01
宇喜多直家はなぜ織田信長を選んだのか?羽柴秀吉を通じて見せた凄腕の生存戦略
2026/08/30
前田利家はなぜ柴田勝家を裏切ったのか?賤ヶ岳の戦い・撤退の真相と「天秤」にかけた男の苦渋の決断
豊臣秀頼の子どもは何人?千姫との関係と豊臣家最後の血筋
2026/08/29
【なぜ側室に?】茶々はなぜ秀吉の側室になったのか?仇と結婚した理由・年の差・最期まで徹底解説
2026/08/27
織田信雄と織田信孝の違いとは?肖像画に刻まれた父・信長の面影と「生存劇」の明暗
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村