美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

岩村町の女城主の里!古地図を見ながら史跡を巡ろうーBの章

Aの章では職人の町、上町(本町一・二丁目)を紹介しましたが、Bの章では岩村城下町のメインの通りとなります。     こうして昭和初期の地図を見ると、岩村町は商店が多くあったんだな〜 …

実業家となった渋沢栄一の家系図と子孫達の活躍

 明治になって日本を代表する実業家となった渋沢栄一は、最初の妻・尾高千代がコレラに罹って亡くなったのが明治15年(1882年)、後妻は伊藤兼子で明治16年(1883年)で、二人の間に七人の子に恵まれ多 …

遠山金四郎と鳥居耀蔵の南・北奉行所の二人のルーツは同じ美濃国岩村城にあった

   映画・ドラマでお馴染みの金さんは北町奉行、一方妖怪こと鳥居耀蔵は南町奉行、そこに老中・水野忠邦の「天保の改革」で贅沢禁止令で有名な話です。     桜吹雪の遠山の金さんは実在 …

『高天神城を制する者は遠州を制す』—家康と勝頼、命運を分けた二度の戦い

 高天神城は現・静岡県掛川市から南へ連なる山地に山城が存在していました。     『高天神城を制する者は遠州を制する』といわれたほど重要な城で、武田氏と徳川氏の争奪戦となった舞台で …

藤原宣孝と紫式部の歳の差婚:親子ほどの年の差は幸運だったのか

藤原宣孝は、親戚筋の官僚で父の同僚だけど幾度となく紫式部に求婚の手紙を書いていたらしいが、その度に拒否の歌を返している。     宣孝は紫式部より20歳ほども上で、何人もの女性と結 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。