美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2020年4月7日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
岩村城の石垣は阿木川から持ってきて六段壁・本丸・出丸作った
岩村城の案内をすると、岩村城の規模は一の門内の本城のみをいうと周囲1,2 55m、本丸は東西31m、南北66m。 二の丸は東西58m、南北63mあり、他に出丸、東曲輪、帯 …
義高と大姫の純愛が親同士の争いで突如悲劇になる
源頼朝の最初の子といえば、平氏の伊東祐親の娘・八重姫との間に生まれた千鶴丸います。(祖父の命で殺される) 八重姫の親に反対され子供まで殺されてしまい、狙われる羽目にな …
北条時政・義時親子の執権政治はいつ頃から野望を持ったか
初代・鎌倉幕府の将軍・源頼朝が亡くなった後、御家人の中で権力に執着を持ったのが北条時政。 この北条時政と源頼朝の繋がりといえば、まだ、鎌倉幕府ができる前の話、過去にさかのぼり説明し …
鎌倉時代の岩村城主・加藤景廉が頼朝に仕え承久の乱までの生涯
岩村町の東には八幡神社に加藤景廉が・西の武並神社には遠山景朝が神として祀られている。 岩村の町は、下の図のように東西に伸びています。東へ行けば上村町(現・上矢作から信州)西へ行けば大井 …
短かった岩村城主・田丸直昌ー秀吉の恩義を貫いた男の中の男、本物の武士。
田丸直昌って城主って? 岩村城主の在職は短く八ヶ月、どいう武将っだったか? 田丸氏は、伊勢国の国司で北畠の庶流で、5代北畠政郷の4男・顕晴が度会郡田丸城に入り田丸氏を名乗ったことに始まる …
2022/06/25
岩村町の歴史は3万年前の旧石器時代に水晶山下に居住していた
2022/06/20
鎌倉七口切通し道は敵の侵入を防御するために考えられた路
2022/06/17
三浦義村と北条義時と八重姫は伊東祐親の系図から来てる
2022/06/14
鎌倉武士の鏡・畠山重忠!義父・北条時政の策略にはまって一族滅亡する
2022/06/13
刀剣女子に名匠・大原安綱の紹介と名刀“童子切安綱”天下五剣筆頭の一振り
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
広告
検索
にほんブログ村