美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

飯高観音の僧が兄が亡くなったため、変身し美濃国明知城の城主になって活躍。

加藤景廉の嫡男遠山景朝が最初に岩村城を築城して、明知城・苗木城を築城して恵那地方に幾多の城を築いて治めてた。      岩村城は元治元年(1185年)源 頼朝が全国守護・地頭を置いたとき、重 …

秀吉の判断力が狂い始めた—文禄・慶長の役の手紙が語る「晩年の異変」

 国内統一を果たした秀吉が、なぜ、朝鮮に出兵を考えたか? 自分の考えなのか?誰かにそそのかされたのか?     全国の大名を大量動員して、文禄元年(1592年)〜文禄2年(1593 …

一条天皇の后の定子・彰子が中心となった後宮サロンとは

   サロン「Salon」はフランス語で、貴族階級の社交場を意味します。 身分の高い貴族が宮廷や私邸などの一室に、学者や詩人など知的で教養豊かな人達を集めて、文学や芸術などの高尚な会話を楽しむ場所を提 …

豊臣家の滅亡崩壊はここから始まった——秀長の死が豊臣政権の終わりの始まり

  豊臣政権の天下が絶頂に達した、天正19年(1591年)に、秀吉の最重要人物の弟・豊臣秀長が同年1月22日に郡山城内で病のため静かにこの世を去った(享年52歳)。     温厚で …

三方ヶ原の戦いはなぜ起きたか?同盟同士の信玄と家康が共に不信を抱いた

 甲斐国の武田信玄と駿河の国の今川氏と同盟を結んでいたが、父・義元の死によって遠江の国衆たちが今川に叛き混乱状態となった。     このことにより、信玄が今川領に対する野心が生まれ …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。