美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2022年7月1日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
真田昌幸の系図は武田信玄に人質生活ー正室・山手殿の出自
真田家と岩村遠山氏との間に多少なりとも関係があった。 岩村城のおつやの方(女城主)の時代に、武田・家臣の秋山信虎と戦った女城主は、岩村合戦の時の城主が、信長の子・御坊丸だったが幼かったため。 &nb …
小早川秀秋は関ヶ原の戦いでなぜ東軍(家康)に寝返ったのか
小牧・長久手の戦い後、豊臣政権の中、秀吉が後継者の秀頼が幼いため政務が出来ない事を心配して五大老・五奉行を置いた。 五大老とは、徳川家康・毛利輝元・前田利家 …
武田信玄と戦った上杉謙信の毘沙門天の旗の意味は誕生との出生に関係があるか
上杉謙信は、桓武平氏の流れをくむ長尾氏の家系に属しています。 長尾氏は、相模国鎌倉郡長尾郷(現在の横浜市栄区長尾台町付近)を本拠とする中世の武家・戦国大名で、桓武天皇の流れをくむ坂東八平氏の一つ …
関ヶ原の戦いは九月十五日東濃の関ヶ原の戦い前哨戦とは
徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が天下を二分して衝突した「関ヶ原の戦い」。 戦国史のクライマックスは関ヶ原ばかりに目が行きがちだが、同時期に東濃地域でも地元の両勢力 …
織田信長、天下布武への第一歩:足利義昭を奉じて京都へ凱旋する
どうして足利義昭は織田信長に上洛を頼んだか? 義昭は将軍職うを継ぐ正当な権利を持っていましたが、実力者の後ろ盾なければ京都にも入ることも将軍になることもできない状態だった。   …
2026/05/31
「職場放棄」から天下人へ!蟄居処分の秀吉が播磨攻め総大将に大抜擢され、弟・秀長が難攻不落の「竹田城」を落とす
2026/05/30
【豊臣兄弟】寧々と慶の「内助の功」とは?天下人を支えた最強の義姉妹コンビの裏話
2026/05/29
【豊臣兄弟の頭脳】両兵衛の絆が生んだ奇跡と、天才軍師の遺志を継いだ「仁王丸」の知られざる戦国秘話
2026/05/26
信長があだ名を付けた丹羽長秀!安土城の偉業と壮絶な自殺の謎
2026/05/24
豊臣秀長が京都大仏をわずか10ヶ月で完成!「最高の右腕」の現場力
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村