美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

桶狭間の戦いの当日松平元康は大高城にいたーそして信長軍から逃げた

   戦国時代も半ばを過ぎた頃、駿河の守護大名今川義元(42歳)と尾張のうつけ織田信長(27歳)が桶狭間で衝突、その時、松平元康(17歳)は今川の先鋒で大高城へ兵糧の役目を仰つけられていた。 &nbs …

鎌倉七口切通し道は敵の侵入を防御するために考えられた路

 鎌倉は南に海・北東西は山に囲まれ狭い地形だから、頼朝は鎌倉幕府を創ったんだろうか?     都は疫病が蔓延していて行きたくなかったか? 慣れ親しんだ湘南地方だから鎌倉に置いたんだ …

天空の山城・岩村城の魅力!石垣と歴史が語る日本三大山城を訪ねて

 岩村城が、なぜ「日本三大山城」に選ばれたのか? それは標高717mに築かれた山城だからです。   日本三大山城の条件として、株式会社 新人物往来社※1「日本城郭大系」※2の中に記述があり、 …

伊賀越えは茶屋四郎次郎の情報網がなければ徳川家康の天下取りもなかったかも・・

 茶屋四郎次郎と家康の関係は、とても深い関係です。 NHKの大河ドラマを観られた方も多いと思いますが、これからどんどんと深みにはまっていきます。     Yahoo!の知恵袋見てた …

承久の乱の戦場に幕府軍は東海道軍、東山道軍、北陸道軍の3軍で京に向かう

 3代将軍・源実朝が甥の公暁に暗殺されて、源氏将軍を失った鎌倉幕府執権の北条義時は、第4代将軍として後鳥羽上皇の皇族将軍を朝廷に要請しますが、後鳥羽上皇は義時に御家人の処分を取り消すよう要請します。 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。