美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

岩村城の女城主「おつやの方」は甥の信長に政略婚に使われ非業の最期遂げる

   おつやの方が嫁いだ岩村城の築城は古く、鎌倉時代に源頼朝の重臣・加藤景廉が恵那郡の守護を任され嫡男・加藤景朝(後に遠山に改名)が築城した山城です。     初代・遠山景朝の長男 …

長岡藩家老の河井継之助が最後のサムライといわれる男の生きざま

 慶応三年(1867年)260年余り続いた徳川幕府が、政権を放棄する大政奉還により終焉する。     そして諸藩は旧幕府軍と新政府軍の東西に分かれ戊辰戦争が始まる。 越後長岡藩家老 …

日本三大仇討の一つ伊賀で二十九年目に親・兄の仇を討った石井兄弟

 明治以前は許されていたが、今の世は仇討ちは許されていない。 仇討ちで超有名な話は、浅野内匠頭が殿中で刀を抜いて吉良上野守に切りかかった話などは大方の国民が知っています。     …

家康の松平氏の家系図の中で大給松平家はどういう位置付けだったか

 松平家といっても、家康の先祖、初代・松平親氏系統の松平家の他いっぱい松平家があります。 大給家は、松平家の庶流で、第四代・松平親忠の次男の松平乗元を祖とする一族で、家康は三男の松平長親(第五代)の系 …

2代目執権北条義時は承久の乱で勝利して本当の武家政権にした立役者

   源頼朝が平家を倒して鎌倉幕府を開いた。 いままで朝廷にこき使われていた武士が、平家を倒しては武士が頂点に立つ政治を行う体制に持って行ったのです。   でも頼朝の死、子頼家・実朝が死んで …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。