美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

竹千代は今川義元の家臣に「むごい教育」をせよと命じられていたなぜか?

   竹千代(家康)は今川家の人質なのに、なぜ義元は最強の教育したのでしょうか?     竹千代は松平家から今川家に人質として差し出されたとき、まだ幼い子供でしたが、義元は竹千代の …

岩邑に極楽寺があったが廃寺!幸せを呼ぶ明知線「極楽」駅に観光客が殺到

極楽寺跡から遺跡でるわ、出るわ。広大な敷地跡から出土品が出た。  極楽寺と言う名の寺は全国に370を超す〔全国寺院大艦〕。 ネットで見ると最初に出てくるのが、名古屋市大須の「極楽寺」です。 &nbsp …

後宮に仕える女房・女官は身分は違えど七殿五舎に帝と妃と共に暮らす

 紫式部、和泉式部や清少納言は、女房(にょうぼう)と呼ばれる職業でした。     この三人は夫と死別や離婚で独身だったので、出仕中はだれかの奥さんだったわけではありません。 &nb …

岩村城の女城主「おつやの方」は甥の信長に政略婚に使われ非業の最期遂げる

   おつやの方が嫁いだ岩村城の築城は古く、鎌倉時代に源頼朝の重臣・加藤景廉が恵那郡の守護を任され嫡男・加藤景朝(後に遠山に改名)が築城した山城です。     初代・遠山景朝の長男 …

承久の乱で頭角を現した美濃国・岩村城主・遠山景朝と朝敵・一条宰相信能

   遠山景朝は父・加藤景廉の働きで頼朝公より岐阜県恵那郡の遠山荘の地頭を賜ったが、自身は頼朝の意向によって鎌倉に留まって頼朝を助けた。 ▲頼朝が加藤景廉に長刀を渡して、この刀で山木兼隆の首を取ってこ …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。