美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

古い町並みの岩村城下町を散策しながら重伝建の町を紹介

「岩村」駅を降りて改札口を出ると目の前に岩村城が見える。 その麓に城下町。     岩村町は標高が駅付近で500mから城下町へ登って行くにつれて515mと高低差があり、夜は気温がぐ …

気になる大給松平家の岩村藩と西尾藩の関係とは?

名鉄新安城駅から本線から別れていく三河線の途中にある西尾市、駅からさほど遠くないところにある西尾城。 三河国の西尾藩と岩村藩の関係。 西尾藩は、幾たびか城主が替り廃城となったりしても、大給松平家が江戸 …

天狗党の総大将武田耕雲斎・藤田小四郎らが尾張藩大井宿に現る

   天狗党の大まかな集団を作って尊王攘夷を孝明天皇に直訴しようと京に向かった。   途中、中山道を天狗党が通過したことについては、岩村藩との接点は余りないように思われていましたが、恵那市大 …

家臣団に嫌われるも徳川家康と本多正信との関係は良好だったは何故か?

 本多正信は通称を弥八郎と呼ばれていた。 正信の父は本多俊正で、もともと松平家の重臣・酒井忠尚の下で働いていた、忠尚が謀反を起こしたために、共に家康と戦うこともあったが、永禄7年(1564年)9月に俊 …

織田信長、天下布武への第一歩:足利義昭を奉じて京都へ凱旋する

 どうして足利義昭は織田信長に上洛を頼んだか? 義昭は将軍職うを継ぐ正当な権利を持っていましたが、実力者の後ろ盾なければ京都にも入ることも将軍になることもできない状態だった。   &nbsp …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。