美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

恵那峡

タモさんもビックリ恵那峡の奇岩怪石巨岩は苗木花崗岩で造られた景勝地

投稿日:2024年3月18日 更新日:

 恵那市は長野県木曽路の入り口、御嶽山は長野県、標高3,067mの霊峰と並ぶ恵那山は岐阜県恵那市と中津川市にかかる標高2,191mの山があります。

 

 

恵那山の名前の由来は、古くは胞衣山(胞山)と呼ばれ、また角度により船を伏せたように見える事から舟覆伏山 (ふなふせやま) などとも呼ばれています。

信州側では「野熊山」とも呼ばれていました。

 

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恵那峡付近苗木花崗岩がある理由は、中世代の白亜紀後期から第三紀にかけての大規模なマグマ活動により形成されたからです。

 

 

この時期に地下深くマグマがゆっくり冷えて固まり、花崗岩体が形成され、恵那峡の地域は、そのような地質活動の結果として、特徴的な岩石や地形を持つようになったのです。

 

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恵那峡に聳える奇岩・怪石・巨石

そんな恵那には恵那峡があり、恵那市・中津川市を流れる木曽川中流の渓谷です。

 

 

恵那峡は大井ダムの上流約10Kmの区間にあたり、恵那峡は大正9年(1920年)に地理学者・志賀重昴が命名しました。

 

 

全国にはダムの開発によって景観が損なわれたケースが多いが、この恵那峡は逆で自然の造形と人工物の融合によって誕生した景勝地です。

恵那峡県立自然公園の中枢です。

 

 

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恵那峡一帯に奇岩が多いことで卓越しています。

       ▲屏風岩

 

 

屏風岩、軍艦岩、獅子岩、鏡岩などが見られ、それらを近くで見学するため遊覧船が周航していますので是非見学をお勧めします。

     ▲桜咲く遊覧船乗り場

 

地質学的にも貴重な場所であり鉱物博物館があります。

恵那峡近辺にある笠岩は、昭和9年(1934年)に国指定天然記念物となった奇岩があります。

      ▲天然記念物「傘岩」

 

傘の形をしており、底が傘のように括れ(くびれ)ていることから名付けられた。

黒雲母花崗岩からなり、雨水の侵食、風化などによって特異な形が形成された。

 

最も広い場所が直径33mなのに対して最も狭い場所は数十cmしかない傘岩です。

 

 

<h3>大井ダム

恵那市は岐阜県の南東に位置、名古屋から70Km、人口5万7千人、面積は約504.2 km²、市の78%が山林と自然に恵まれた町、大井ダムは大正13年(1924年)同市大井町内を流れる木曽川に造られた国内初の本格的な高揠堤(重力式コンクリート)を持つダム水路式発電所です。

 

 

「男伊達ならあの木曽川の流れ来る水を止めてみよ」と木曽節にも歌われ木曽川の激流を堰き止めた、総貯水量が2940万t(建設当時)のダムです。

 

 

この大井ダム発電所は、福沢諭吉の娘婿であり、日本の電力王と呼ばれた福沢桃介が手がけた発電所の中では最大規模のものとして知られています。

 

 

日本の女優第一号川上貞奴が、この地で桃介に協力したという話があり、テレビドラマなどでも広く紹介されています。

 

 

このダムの完成により、上流約10km周辺に景勝地「恵那峡」が誕生し、恵那峡には豊かな自然が広がり、春の桜、秋の紅葉スポットなどとして多くの観光客に親しまれています。

 

 

周辺には天然温泉が引かれたホテルをはじめ多くの宿泊施設があり、景色を眺めながらゆっくり滞在するには最適です。

 

 

近くにある同水系の阿木川ダム(阿木川湖)と共に、ダム湖百選に認定されています。

 

 

 

恵那山はどいうやってできたのか

恵那山日本百名山の一つで、岐阜・長野県境に位置する山で東濃地方(岐阜県美濃地方東部)の最高峰です。

 

 

近くを東山道や中山道といった街道が通り舟を伏せたような山容が古くから人々に親しまれて来ました。

 

 

「山」とは周囲よりも高いピークを持った地形のことを言います。

比較的高い山は、山脈の一部であることがよくありますが、山脈は、断層や褶曲(しゅうきょく)など広い範囲にわたる地殻変動の結果できた高まりです。

 

 

その高まりが浸食作用によって削られたけ残ったピークが山脈のなかの山で、ヒマラヤ山脈のエベレスト(チョモランマ)、日本では飛騨山脈の剱岳などがその代表といえるでしょう。

 

 

もちろん火山活動によっても山ができます。

山としての火山は、地下のマグマ活動に由来する溶岩や火山灰などの噴出物が重なってできた高まりです。

 

 

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その他周辺の見どころ

恵那市内に美濃十六宿で最も繁栄したと言われる中山道大井宿(尾張領)の跡、恵那市岩村町には日本三大山城に一つ岩村城跡岩村城下町の街並みが国選定重要伝統建物保存地区に指定された街並みがあります。

※上記の岩村城跡と別に岩村城下町の記事があります。興味ある方は読んでください。
 

 

 

また、恵那駅から明知線の終点明知駅には大正時代の風情を残す日本大正村と岩村城の支城であった明知城跡があります。

 

 

恵那市内の宿泊のお勧めは旅館「いち川」

旅のお勧めは旅館です。

恵那峡の周辺にもホテル・民宿・旅館等がありますが、恵那市内にある「いち川」旅館がお勧め、恵那駅から歩5分の好立地で、そこから恵那峡見学、あくる日には明知線に乗って岩村城下町散策と岩村城跡散策もできます。

     ▲旅館「いち川」全景

※上記の「いち川」に興味がある方はクリックして中山道・大井宿を呼んでください。
 

 

時間があれば明知線で「明知」駅まで行って大正村を散策というスケジュールを組むにはピッタリの恵那市内の宿泊施設です。

 

 

また登山が好きな方は、恵那山日本百名山の一つで、岐阜・長野県境に位置する山で「恵那山」東濃地方(岐阜県美濃地方東部)の最高峰の山に登ってもいいと思います。

 

 

-恵那峡

執筆者:

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。