美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

飯羽間城の場所は岩村城の西北にある支城の中でも最前戦城であった

 飯羽間城には、伝説“姫塚”という話が伝わっております。 上飯羽間に姫塚と呼ばれる塚があります。     もともとは五輪塔(上から空、風、火、水、地を合わせた石塔)、いまは塔身の水 …

家康の側室・阿茶局は相当の武術者で秀忠の養母になる

家康には19人とも、それを超えるといわれる側室がいる、その中の一人に馬術・武術に優れ、これまでとは違うタイプのデキる女、頼りになるバリキャリの側室・阿茶局。 家康の正室は2人、築山殿と朝日殿で共に政略 …

なぜ家康は孫娘の夫・秀頼を二条城へ呼び出して会見を挑んだか?

   慶長16年(1611年)に、後陽成天皇の譲位と政仁親王(後の後水尾天皇となる、のちに秀忠の娘・和子と結婚)に即位の儀式が4月12日に執り行われる予定でした。     家康はこ …

岩村町の三森山は信仰の山、救いを求めた大圓寺・富田地区の住民たち、恵那山と天照大神。

三森山は町民の信仰の山、岩村城と並んで立っている。   その岩村町三森神社の由来と恵那山の由来。   三森神社のことを地元(現・岩村町富田)の人は、”三森さん“;とこんなふうに呼ん …

源仲章らは朝廷との二重スパイか?系図を見ると実朝と繋がった

 実朝に勉強を教えている源仲章ってどいう人物なんでしょう? 後鳥羽上皇に仕え、京から来た第59代・宇多天皇の子、第八皇子敦実親王の三男 雅信王こと源雅信の子孫です。     元を正 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。