美濃国岩村城の歴史と関連武将たち
美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。
投稿日:2024年12月2日
-
執筆者:rikutarou
関連記事
松永久秀は 何をした人?三大悪事の真相と波乱を年表で解説
松永久秀は、戦国時代に三好長慶の家臣から大和(奈良県)を支配する戦国大名へと成り上がった梟雄(きょうゆう)です。 将軍・足利義輝の殺害や東大寺大仏殿の焼き討ちや主君殺し「に関与したとされ、織田信長を二 …
真田幸村は大坂夏の陣で真田丸を造って徳川軍をキリキリ舞いさせる
大阪冬の陣は、慶長19年(1614年)に家康が大阪城に戦いを挑んだ戦いです。 豊臣側に参戦したのは浪人が多く、その中に、浪人五人衆(後藤又兵衛・長宗我部盛親・毛利勝永・明石 …
家康が将軍職を秀忠に譲って駿府城をなぜ最後の棲家にしたのか?
慶長10年(1605年)4月16日に家康は、側室・お愛の方との間に生まれた三男・秀忠に将軍職を譲り駿府に引っ込んでしまった? せっかく天下統一を果たした家康なのに最後まで …
承久の乱で御家人を動かした北条政子の神演説で後鳥羽上皇軍を破った
▲加藤景廉一族の墓(沖の原五輪の塔) 我が故郷の岩村城の祖の加藤景廉が、頼朝より地頭を賜ったのに、承久の乱後、加藤景廉が亡くなった。 承久3年(1221年)8月3日没。 &n …
滝川一益はなぜ清州会議に遅刻したのか?不参加の理由と哀れなその後
織田信長の重臣であり「織田四天王」※の一人だった滝川一益は、天正10年(1582年)6月27日の清須会議に出席していません。 本能寺の変、直後に関東で北条氏と戦い(神流川の敗戦)、命からがら領国へ逃げ …
2026/09/21
朝倉義景の最期とは?賢松寺での自決と裏切った朝倉景鏡の末路
2026/09/19
豊臣秀次の悲劇!秀吉に翻弄された生涯と切腹事件の真相に迫る
2026/09/17
【豊臣兄弟】安藤直次とは何者?池田元助を討った戦功と生涯
2026/09/16
小早川秀秋と家康の鉄砲は虚構?関ヶ原で裏切り者とされた真相
2026/09/15
木下家定とはどんな人?豊臣兄弟を支えた義兄の生涯と子孫を解説
このサイトについて
東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。
日本の歴史
カテゴリー
広告
検索
にほんブログ村