美濃国岩村城の歴史と関連武将たち

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

関連記事

平家を滅亡させた源頼朝が鎌倉幕府を開いた理由は?武家政権と統治機構

「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を知っている方は多いと思いますが、この言葉を発したのが平清盛か平時忠(姉は清盛の継室※1、しかも妹が後白河上皇妃ということで、結構な発言力を持ち、出世もどんどん …

飯高観音の僧が兄が亡くなったため、変身し美濃国明知城の城主になって活躍。

加藤景廉の嫡男遠山景朝が最初に岩村城を築城して、明知城・苗木城を築城して恵那地方に幾多の城を築いて治めてた。      岩村城は元治元年(1185年)源 頼朝が全国守護・地頭を置いたとき、重 …

越前の朝倉義景と織田信長と戦った朝倉家はどうして越前に本拠地を持ったか

 元亀元年(1570年)、越前国敦賀郡金ヶ崎(現・福井県敦賀市金ヶ崎町)で織田信長・徳川家康率いる「織田・徳川連合軍」と「朝倉義景」率いる「朝倉軍」が対峙したことは皆さん知っていると思いますが、多勢の …

徳川家康のルーツの松平氏という名前の由来と清和源氏出の疑問

   読者の皆さんこんにちは、徳川家康のルーツは松平氏だといってます。 松平氏という苗字に疑問を抱いた事ないですか?なんで松平がルーツだといえますか。     どうしてかというと、 …

江戸城を築城した太田道灌はなぜ?主君に殺されたか悲運の武将

 戦国一の智将とも称される太田道灌。 彼の功績は、同時代を生きた他の誰とも比べられないほど輝かしいものでしたが、彼の聡明すぎる頭脳と自己顕示欲は、自身の破滅を招いたひとつの要因だったと言えるでしょう。 …

東美濃の岩村城の歴史(いまから800年余に鎌倉時代に築城された山城、日本三大山城の一つ、他に岡山の備中『松山城」奈良県の「高取城」があります)について書いています。のちに世間に有名な人物は林述斎・佐藤一齋等を輩出した岩村藩は江戸時代になって松平乗紀(のりただ)が城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とた。気楽に読んで頂ければ嬉しいです。