【日本三大山城】美濃国岩村城の歴史と日本史

美濃国岩村城の生い立ちから戦国時代をかけて来た、織田信長の叔母である「おつやの方」女城主、徳川時代の平和時代から明治維新まで歴史のあれこれ。

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平家を滅亡させ源頼朝が鎌倉幕府を開いた理由は?武家政権と統治機構

投稿日:2021年3月12日 更新日:

「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を知っている方は多いと思いますが、この言葉を発したのが平清盛平時忠(姉は清盛の継室※1、しかも妹が後白河上皇妃ということで、結構な発言力を持ち、出世もどんどんしていった人)

※1.継室(けいしつ)とは、最初の正室との死別や離婚を受けての、当主の正式な再婚により迎えられた後妻を指す。 正室と同じく、日本の歴史において身分の高い者が継室となる場合が多い。 但し、新婦側の当主の養女または息女以外の女性であることが少なくない。

 

 

平家源平の争乱と鎌倉幕府の成立について源頼朝の活躍について書きます。

 

ご存知でしょうか?
日本の幕府と武家政権を・・・:平氏政権は1167年〜1185年、鎌倉幕府は1192年〜1333年、室町幕府は1338年〜1573年、豊臣政権は1585年〜1603年、江戸幕府は1603年〜1868年となっています。

 

 

平安時代の末期から鎌倉幕府がどのようにしてできたのか?

まず、鎌倉幕府がどのように成立したか、この時代、平家の平清盛は後白河上皇を助けることで権力を強めて行った。

 

 

しかし二人(御白河上皇と平清盛)の間が次第に険悪になってきました。

 

御白河上皇は自分より下だった、平清盛が段々と権力を持ってきたので、清盛を排除するようになってくると、力ずくで清盛は反抗して安元5年(1179年)鳥羽殿※2に閉じ込めてしまう。

※2鳥羽殿とは、鳥羽離宮は、平安後期に洛南鳥羽の地に白川・鳥羽両上皇が造営した譲位後の御所。
『平家物語・巻3』の「城南の離宮の事」には、平氏の全盛期、後白河法皇が清盛によって鳥羽離宮(田中殿)に幽閉され、この地で失意の日々を過ごした情景が描かれています。

 

                       ▲跡地の公園

平家に反発する貴族も処罰した。

平家が独裁的に権力を握って、平家の政権ができてくると、周りが平家に不満を持ってくる、これはなんとかしないと、我々の土地が平家に奪われるという危機感が大きくなって東国武士(豪族)たちは反発してた。

 

 

そんな中、後白河上皇の子供・以仁王が平家打倒を各地に号令をかけると、木曽の源義仲が兵を挙げ、伊豆の源頼朝が兵を挙げ、豪族たちも、このまま平家を野さばしおくと自分の土地がどうなるか分からない、もともと平家とは仲が悪かった豪族たちが平家打倒で立ち上がって、兵を挙げた。

 

 

この戦いを治承・寿永の乱として5年も続いた。

東国武士たちは、誰についた方が得か?

自分の土地を誰が守っれくれるのかと皆で相談したところ、最終的に選んだのが源頼朝についた方が、得だという事で頼朝に味方した。

 

 

平家を段々追い西の方に追い詰めて行って、頼朝は弟である源義経を派遣して1185年に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼす事に成功します。

 

 

 

こうして平家を倒して鎌倉幕府の基礎を確率した

次第に東国・東日本の武士団たちと関係を深め、源頼朝が本拠地を鎌倉に置いて武家政権を作ったのが鎌倉幕府の始まりです。

 

                              ▲源頼朝

 

なんですけど幕府って、なんなのか、イマイチ分からない。

急に鎌倉幕府・室町幕府が出てきて、天皇の存在感が薄れますけど、日本のトップは天皇です。
これはいつの世でも変わっていません。

 

 

しかし天皇が日本全国を支配するという事が難しくなっているわけです。
ということは天皇が軍隊を持っていて、全国を統一することができれば、天皇中心社会ができるんだけど、そんな力はない。

天皇は武力は持っていないかけど、権威を持っています。

 

 

生きていくためには、食べ物を確保しなければなりません。
食べ物とはお米です。

お米を作るには、富の基盤、すなわち土地、その土地を奪ってでも土地を広げたいと思う輩がいても不思議でもないことです。

 

 

それを阻止するために、源頼朝を頂点にしてルールを作って、ルール違反が起きないようにするためにはどうしたらいいのか、これが重要になってきます。

 

 

ここで、そのルールを破ったとき、なんの罰も与えなかったら破る人間が出てきます。
そこで、頼朝はどのような組織にするか、役職を誰にするか?
決めていったのが、この表です。

 

地方に重点を置いた。

 

源頼朝より文治元年(1185年)加藤景廉に東濃地方東美濃を与えられ、恵那郡岩村町に遠山荘園の守護・地頭を与えられ、嫡男景朝が築城し恵那地方を治めた。

 

源頼朝武士との間に主従関係関係ができ、今まで持ってた土地を管理する者を本領安堵といい、新しい土地の管理する者を新恩給与といいます。

この関係を御恩と言います。

 

奉公とは、天皇の館の警護と戦いが起きたときに軍事行動をすることを京都大番役と言います。

 

このような関係を将軍と結んだのが御家人です。

 

 

加藤景廉の嫡男・加藤景朝姓を改め遠山景朝として東美濃の岩村に本拠地を置いて、守護・地頭を勤めていました。

 

※興味のある方はか上記の恵那郡岩村町をクリックして、岩村城のことを知ってください。あの有名な遠山金さん・大給松平家・佐藤一齋・林述斎その他も関係してるのでブログを読んでください、NHKの『半分、青い』のロケ地としても登場してます。

 

 

幕府って軍事政権なんです。
社会の安定にはパワー(暴力装置)が必要)です。

1183年に源頼朝は後白河上皇(院生を行ってたので)に東国の支配権を認めてもらって武家政権を作った。

 

 

同年4月15日、頼朝の内挙※3(ないきょ)を得ずに、朝廷から任官※4を受けた。

これに対して関東の武士等に、任官を罵(ののし)り、頼朝は義経に対し東国への帰還を禁じた。

※3.内挙とは。内々に推挙すること。また、うちわの者を推挙すること。

※4.任官とは、官職に任用されることをいう。古くは奈良時代の律令制導入の際より日本の管制において用いられた用語であり、今日のの政府や国家機関等においても使用されています。

 

 

元歴2年(1185年)に平氏が滅亡した後を、御白河上皇が、今度は源頼朝が力を持ちすぎることを警戒して、頼朝の弟・源義経に頼朝を倒せと命令する。

✖️
▲兄・頼朝と                                              弟・義経

 

 

そのことを知った頼朝は京都の朝廷に兵を送って圧力をかけ、頼朝は弟・義経を潰すために国ごとに守護を任命、土地(荘園・公領)ごとに地頭を任命する権利を認めさせる。

 

地頭とは土地(荘園・公領)を管理して、その中から税を集める役職を得た。

 

 

これを朝廷から正式に獲得した。

頼朝は社会を安定させる仕事、任命する権利も獲得した。
1185年に鎌倉幕府が成立しました。

 

 

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ただ平氏を滅びしたけど、東北地方に奥州藤原氏っていう存在が邪魔でした、弟・義経も頼朝に危険を感じて奥州藤原氏も元に逃げ込んだで匿ってもらった。

藤原氏を義経を匿った理由で滅した。

 

1192年に征夷大将軍に任命されます。
これによって武家政権ができ鎌倉幕府もできた。

 

まとめ

いままでは、朝廷に使われて武士が、平家を倒してやっと実際に戦う武士たちが政治を行うことが出来る武家政権を確立した。

 

日本の幕府と武家政権を・・・:(平氏政権は1167年〜1185年0、鎌倉幕府は1192年〜1333年、室町幕府は1338年〜1573年、豊臣政権は1585年〜1603年、江戸幕府は1603年〜1868年となっています。

 

 

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